松井大将の生涯

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南京大虐殺の責任者といういわれなき罪で絞首刑になった松井石根(まつい・いわね)大将。中国では、日本のヒトラーとまで言われているそうです。これまでザ・ファクトでは、南京大虐殺が嘘であることを検証してきました。松井大将の汚名をすすぐことが南京大虐殺という日本人に科せられた冤罪を晴らすことになるのです。

松井大将写真

入場式典カラー

松井石根大将とはどのような人だったのか

静岡県にある板妻駐屯地資料館には、軍服、愛用の靴といった松井大将ゆかりの品が遺族から寄贈され、展示されています。南京攻略の功により昭和天皇より下賜された花瓶もそのひとつです。

資料館

大将の軍服

下賜された花瓶

日本と中国で連携し、植民地主義に立ち向かう理想をもっていた

松井石根大将は、明治11年名古屋市に生まれました。陸軍大学校在学中に日露戦争に従軍。孫文や蒋介石とも親交があり、日本と中国が連携して欧米列強の侵略に対抗する「大亜細亜主義」という思想を持っていました。共産主義を排し、平和裏に中国の統一を促すため、奔走したのです。

日中戦争が開戦し、日中連携の理想はついえてしまう

しかし昭和12年、日中戦争が開戦。松井大将が描いた日中連携の理想はついえてしまったのです。その年の11月、上海派遣軍司令官を命じられた松井大将は、上海攻略に成功。さらに兵を進め、12月13日、遂に中国の首都・南京を攻略しました。この功績によって松井大将は、一躍英雄になったのです。

南京城攻略時の写真

自費で建立した興亜観音に日中への思いを込められた

翌年帰国した松井大将は、静岡県熱海市に興亜観音を自費で建立しました。日本と中国、両国民を兄弟・同胞として敬い、両軍の犠牲者を弔うためでした。南京の土と日本の土とを混ぜて造られた興亜観音。そこには「怨親平等」、つまり「敵も味方も平等に弔う」という松井大将の強い思いが込められています。そして雨の日も風の日も、松井大将は山を登って観音様へお参りし、戦没者の慰霊をしたそうです。

興亜観音

興亜観音本堂

当時の女中さんに聞く、戦没者慰霊にまつわるエピソード

当時、松井家の女中をしていた女性に話を聞きました。
「まず朝起きると、家にいらっしゃるときは興亜観音さまのところへ。ユリコという犬がいてね、(松井大将と)ユリコと私と3人で行くんだがね。私は旦那様の背中を押してさしあげて、そしたら旦那様も一生懸命に山道を上がって。南京陥落で亡くなった部下たちのことをすっごく可哀想に思って、南京の土を持ってきて観音さまを造って、そういう戦死した人の供養をなさっていた。だから毎日観音さまのところへ行っていた。季節を問わず毎日です。雨が降っても私が傘をさして旦那様の背中を押して行っていた。そして合掌し、じーっと10分か15分ぐらいかなあ、毎日供養をなさっていたんです」

杉江さん名前

南京攻略時には英雄となった松井大将。南京で戦没した両軍の兵士の供養をする姿勢からもわかるように、中国国民をも愛していたのです。

日本敗戦後、戦争犯罪人として裁かれた松井大将

しかし敗戦の翌年、東京裁判が開廷。日本のために命をかけて戦った方々が次々に戦争犯罪人として裁かれることとなりました。英雄として尊敬を受けていた松井大将も一転して犯罪者とされ、功績をたたえて地元に建てられた記念碑も、かかわりを問われることを恐れた人々によって池に沈められてしまったといいます。

東京裁判全景

名古屋の石碑

ありもしない「南京大虐殺」の首謀者とされてしまう

中国では日本軍によって30万人が虐殺されたということが「事実」とされ、その首謀者が松井大将とされています。

中国記念館

中国記念館大将写真

しかし、近現代史研究家の阿羅健一氏は、事件後に南京市内の人口が減少していない点を指摘しています。日本軍が南京に攻め入った時点で南京にいたのは20~25万人ほど。その後治安を保つため南京城内の敗残兵と市民の分離を行った際、子供や老人を含めて20~25万人の南京の市民がいたということです。30万人の虐殺があったならば、このような人口の記録が残っているはずはありません。

阿羅先生証言

南京城攻略時の写真

また、虐殺があったとされる時期の南京では、カメラを向けると笑顔で応える南京市民や、日本軍の庇護のもと平和を取り戻した人々の写真や動画が数多く撮影されています。立命館大学特別任用教授の北村稔氏は、「(南京侵攻時の写真を見ても)のんびりしてるんですよ、すごく。どこを切っても大虐殺というものはないですよ」と言います。さらに同氏は、日本軍が南京入りした後もそこに居続けるにあたって、市民の反感を買うことは不都合だという点を指摘しています。

北村先生証言

南京陥落時の様子①

南京陥落時の様子②

南京陥落時の様子③

南京陥落時の様子④

さらに、元共産党のエリートで、日本に帰化したジャーナリストの鳴霞(メイカ)氏は、1979年まで中国共産党の教科書を含む一切の出版物に、南京で30万人もの虐殺があったことなど記載されていなかったと証言しています。中国人民30万人以上の殺害は蒋介石率いる国民党がやったと、教えられていたというのです。

鳴霞さん証言

つまり、南京大虐殺はなかった。これが歴史の真実なのです。

東京裁判中、一切受け入れられなかった証言の数々

松井大将をはじめ、多くの証人の方々が東京裁判のなかで南京大虐殺がなかったことを証言しました。

「松井は司令官であった期間においては、俘虜または一般人を宣撫愛護すべきことを隷下の部隊に要請し、その要請が実行された」(マタイス弁護人)、「私は時々、一日本兵が若干の支那人を助けたり、また遊ぶために支那人の赤子を拾い上げるのを目撃した」(南京国際赤十字委員会委員・J.H.マックカラム)、「南京市内巡視中、女子供を含む中国の地方民、非戦闘員の死体は一つも見なかった」(松井石根)
しかし、東京裁判の判事団は日本側の証言を一切受け入れず、中国側の主張を100%採用しました。

マタイス弁護人証言

マックカラム証言

松井証言

ラダ・ビノード・パール判事は被告人の全員無罪を訴え、首席検事を務めたジョセフ・キーナン検事ですら、松井大将の死刑はありえないと言ったそうです。しかし、最後まで日中連携の理想を掲げつづけた松井大将に対し、絞首刑という冷酷な判決が下されたのです。

キーナン検事

パール判事

「天も地も人も怨まず一筋に何も畏れず安らかに逝く」

昭和23年12月23日午前0時1分、巣鴨プリズン跡地(現 東池袋中央公園)で死刑は執行されました。「天地(あめつち)も 人も怨(うら)みず 一筋に 無畏(むい)を念じて 安らけく逝く」(天も地も人も怨まず一筋に何も畏れず安らかに逝く)、これが30万人を虐殺したという汚名をきせられた方の辞世の句です。現在、松井大将の遺骨は、興亜観音の「七士の碑」の下におさめられています。

当時の新聞

死刑執行

辞世の句

「旦那様の濡れ衣を晴らしてあげてください」

女中をしていた女性は、取材班に心の内を明かしてくれました。
「私は、どうしてそんなね、旦那様が悪いわけじゃないのにね、なんで戦犯にならなければいけないんだろうと思ってね。なんであんないい旦那様がそんなことしないといけないんだろうかと思って、泣けてしかたがなかった。絶対に旦那様はあの世でいいところに行ってると思う。極楽へ行ってると思う。そんなね、悪い人じゃないもん。いまでも会えたら会いたいわ。本当にかわいがって下さった。親よりかわいがってくれた。だから、会えたらいまでも会いたい。優しい言葉をかけてあげたい。是非、旦那様のそういう濡れ衣を晴らしてあげてください」

杉江さん

大川隆法著 霊言『南京大虐殺と従軍慰安婦は本当か―南京攻略の司令官・松井石根大将の霊言―』より

大川隆法総裁は、松井大将の霊を招霊し、霊言を行いました。
「我々(日本軍が)原爆3個分くらいの人を殺したというのは、それはね、認めるわけにはいかないですよ。ありえるわけがない。数万の兵隊でそれだけの人を殺したら日本国中が知ってますよ。あとに帰還した人がいっぱいいるんですから。

私はいったん大将になったあと予備役になって、もう一回引っ張り出されて現地に赴きましたが、もう還暦ですのでね。血の気に走って残虐行為をするようなそういう年齢ではございませんので。私は儒学もやっておりましたので、中国に対しては文化的に尊敬していた面もございますので、儒教の国の国民を自らの手で殺めたいという気持ちを持っていたわけではありません。

もうすでに、その前のアヘン戦争のころから、欧米の植民地化は進んでおりましたからね。このままいけばアフリカがやられたのと同じ状況に中国もなるのは間違いありませんので、儒教の国として私らは尊敬していましたので、そういうふうにならないように、やっぱり近代化した日本が盾になって守らなければいけないという気持ちを持っていた。『日本という強国が存在することで、アジアには指一本触れさせない』という不退転の気持ちを持ってあの戦も始まったものだというふうに思っております」

霊言00

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大東亜戦争は、日本の侵略戦争ではありませんでした。欧米の植民地主義からアジアを守ったのが日本であり、松井大将は中国を守ろうとしていました。来年は戦後70周年を迎えます。いつまでも連合国が作った東京裁判史観にとらわれることなく、事実を事実として認識することが必要です。

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南京大虐殺と原爆投下

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https://thefact.jp/2014/196/

英語版はこちら

Nanking Massacre Didn’t Exist ~ The Life of Iwane Matsui, the Honorable Japanese Commander

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