10月31日、文部科学省の下村文科大臣が、来年(2015年)春開学を申請していた幸福の科学大学について不認可という決定を出した問題で、幸福の科学大学側は、11月7日と11日の2回にわたり、異議申し立てを行いました。

幸福の科学大学が文科省に異議申し立て

異議申し立て内容(1) 「信教の自由」「学問の自由」侵害

今回、文部科学省が不認可の決定を出した理由として「霊言は科学的合理性が立証できていない」と挙げた点について、これが「信教の自由」に対する侵害であると同時に、「学問の自由」に対する侵害でもあるとして異議申し立てが行われました。

異議申し立て内容(2) 「出版・言論・表現の自由」侵害

さらに幸福の科学グループ側から文科大臣側、あるいは審議会側の方々に霊言書・霊言本が送られた点について、これが心理的な圧力を与えた行為として不認可の理由に挙げられていました。しかし、これも出版・言論・表現の自由の範囲内のことです。

「お上の決定」には一切盾突くことができないのか

文科省の決定に不服申し立てができない仕組み

現職の国会議員の方、行政に詳しい方、そしてマスコミの方にもあまり知られていないことですが、実はこの文部科学大臣が不認可と決定したことについては異議申し立て、不服申し立てができないと、学校教育法139条にあるのです。

裁判では三審制によって審議を重ねられるようになっている

たとえば裁判を例にとっても、地方裁判所で負けても控訴して高裁に、高裁で負けても最高裁に上告する、と三審制が原則です。このように普通は、結論に間違いがないよう、二重三重のセーフティネットが張られています。ところが、文部科学大臣の出した決定については再審、二度目の審議が一切許されないことになっている。その理由は、審議会が慎重な審議をして出した結論が間違っているはずはないという前提に立っているのです。

今回の決定に際し、慎重な審議が行われたのか

今回幸福の科学大学側は、「慎重な審議が行われなかった」という点、「重大な憲法違反があった」という点において、行政の裁量権を逸脱している、そして最終判断に瑕疵(かし/キズ)があったということで異議申し立てを行いました。今回の文部科学省の問題において、もしこのような申し立てが許されないのであれば、日本人は結局、「お上が決めたことに盾突くことは一切許されない」ということになってしまいます。

明るみに出た、いま政治がうまくいかいない理由

政治が民間を縛り、活力が低下している

さらに、文部科学省が許認可権、あるいは開設を認めた大学に関して補助金行政をするといったことで、民間人の思い・企画を縛ることができるとなれば、ここにも大きな問題があります。いま日本や世界が、「規制を少なくして自由な領域を増やすことで、民間の活力を興していこう」という流れになっています。今回、これに真っ向から反する判断が行われたということになるわけです。

アベノミクス迷走の理由

実は、アベノミクスがうまくいかない点がこことつながっています。アベノミクスにより量的緩和、金融緩和が行われ、日銀が大量にお金を出すようになっても、なぜ、瞬間的に株価が上がっても景気がよくならないのでしょうか。この理由は簡単で、政治が民間の自由な活力を引き出す方向にいっていないのです。その象徴が今回、幸福の科学大学で現れたといえます。「学問の範囲は文部科学省が決める」「信教の自由に反するかどうかそんなことは関係ない」、このような姿勢に問題があります。これは文部科学大臣一人のみならず、安倍政権にもいえることです。日本経済の足を引っ張る強い力がはたらき、景気がよくならない結果となっているのです。

国家社会主義への道を歩んではならない

これ以上日本を大きな政府、あるいは行政の力が拡大する危険な全体主義国家、国家社会主義の方向に向かわせてはなりません。その象徴的な事件が、この下村文科大臣による幸福の科学大学不認可事件であるということをどうかご理解いただきたいと思います。

ザ・ファクトでは引き続きこの問題を追及してまいります。