戦後70年を迎えた今年。この4月には、天皇陛下がパラオ共和国ペリリュー島を、慰霊の旅で訪問されます。この陛下のご訪問という機会に、「ペリリュー島の戦い」がいかなるものであったのかをあらためて知ることには、大きな意義があります。

先の戦争で最大の激戦地の一つ、ペリリュー島

日米双方の最強部隊が真正面から激突した

ペリリュー島の戦いは、先の戦争で最大の激戦地の一つと言われた戦いでした。日米双方の最精鋭部隊、最強部隊が真正面から激突し、両方に大きな死傷者が出ました。しかしこの戦いは、アメリカでも日本でも、長い間あまり知られていませんでした。

米国民に厭戦気分が広がることを恐れられ報道が少なかった

当時この戦いで、アメリカで最強と言われた第一海兵師団が全滅。アメリカ側に予想外ともいえる大きな被害が出ました。アメリカは1日から3日もあればペリリュー島を攻略できるとみていたのですが、3カ月にもわたって日本側に抵抗され、やっとのことで勝利します。この戦いはアメリカで「ルーズベルトの悔い」と言われ、これを知らせることはアメリカ軍の士気が低下するのみならず、国民の中に厭戦気分が広がってしまうと懸念され、報道が控えられたのです。

日本は玉砕を繰り返す戦法を改め持久戦法に出た

この戦いで日本側は、それまでの玉砕を繰り返す戦法を改め、徹底的な持久戦に出ました。それを指揮したのが、中川州男(なかがわ・くにお)大佐です。今回、幸福の科学大川隆法総裁によって、中川大佐の霊が紹霊され、霊言が収録されました。この霊言の中で中川大佐は、「このペリリューの戦いは、国を、国民を愛するがゆえに戦った。愛ゆえに3カ月も苦しい持久戦を戦い抜けたのだ」と明かしました。

ペリリュー島の戦いには大きな意義があった

日本のマスコミでは「狂気の戦場」「無駄死に」扱いの傾向

今、日本では、特にNHKなどでの報道で、この「ペリリューの戦い」を「狂気の戦場」あるいは「無駄死に」「犬死に」であったかのように報道する傾向が出ています。ペリリュー島はもともと戦略的要地であったのですが、次第にこの戦略的重要性が薄れていきました。しかし大変な殺し合いが行われたということで、日本のマスコミが「無駄死に」「犬死に」という表現をしているわけです。

硫黄島の戦いや沖縄戦に影響し、結果的に本土決戦を避けられた

しかし事実に目を向け、さらにこの霊言を通じて見るならば、話は変わってきます。「ペリリューの戦い」を見習うかたちで、硫黄島の戦い、さらに沖縄戦と、日本は持久戦でアメリカを苦しませ、本土決戦を避けることができたのです。もし本土決戦が行われていたならば、当時8千万人ほどの国民がいた日本国内のいろいろな所で戦闘が起き、その場合の犠牲者の数は、東京大空襲や広島・長崎の原爆犠牲者を合わせたよりも多くなっていたことは間違いありません。そのような大変な悲劇、本土決戦を避けることができたという意味で、中川大佐たちの戦いには非常に大きな意義があったと思います。

先の戦争で亡くなった人は単なる犠牲者ではない

日本のマスコミなどは先の戦争で亡くなった方たちに対し、戦犯、あるいは単なる犠牲者扱いをします。しかし今、私たちはあらためて「国を護り、国の発展を護るために戦った人たちは尊いのだ」ということを知らねばなりません。つまり「犠牲者」ではなく「英雄」であると、私たちは知るべきでしょう。

今も昔も、国を護るために戦う人は尊い

今回、今上陛下がペリリューを慰霊の旅として訪問されるということには、「先の戦争で亡くなった兵士たちは、決して犬死にではなかった」ということを兵士の霊たちに告げる意味でも大きな意義があるといえます。先の戦争で亡くなった方たちや、今日本を護るために頑張ってくださっている方たちを尊ぶことが、この戦後70年において求められているといえます。