沖縄戦を9歳のときに体験した方へのインタビュー

今回ザ・ファクトの取材に応じてくださった方は、9歳の頃、両親と弟の家族4人で沖縄戦を体験されました。戦争が激しさを増すと、那覇から壕を転々としながら、沖縄南部へ避難する生活を余儀なくされます。必死で両親の後をついていった移動中に、一家は米軍の激しい艦砲射撃に巻き込まれます。直撃を受けた母は即死し、大けがを負った父もまもなく亡くなり、弟と2人になってしまいました。以下はそのインタビュー内容です。

父の遺体を見ず知らずの人が埋葬してくれた

父が亡くなったとき、知らない場所、知らない人ばかりの所で弟と2人だけになってしまいました。どうしていいか分からず、近くにいた大人の人に教えてもらいました。避難していく過程で、いつ死ぬかわからないような状況にもかかわらず、見ず知らずの父の遺体を一緒に埋葬してくださった方がいました。その方は首里にある学校の先生だと言っていました。こうしたことは沖縄県民として、あるいは日本人として誇りに思います。
それから2~3日して、私はあの先生がどうなっただろうかと思い、訪ねていきました。艦砲射撃もずいぶん来ましたから、心配になって。すると、その場所にはその先生はおらず、奥さんが赤ちゃんを抱いたまま座って死んでいたんです。先生は泣く泣く家族を置いていかざるをえなかったんですね。奥さんは大怪我をしていましたから。そんな状況のなかで自分たちの父を埋葬してくださったのかと、もう涙があふれ出て、心の底から感謝しました。

戦前に沖縄県民が差別されるようなことはあったのか

差別されていたのではなくコンプレックスを持っていた

(今の沖縄には「沖縄が犠牲にされた」「犬死させられたんだ」といった恨みの言葉がありますが、)私はそういう感じは持ちませんね。(それに私たち沖縄県民も)日本人という意識はありましたよ。「日の丸」も「君が代」もあります。(当時の)教育でも、きちんと日本人という意識を教えていました。(沖縄県民は日本人ではないんだという話については)差別というより、コンプレックスです。言葉を同じように使えなくて見劣りするというコンプレックスです。それで「ヤマトンチュー」(大和人)というような言い方をしていたわけなんです。

単なる言葉の違いを「差別」だと強調するべきではない

「沖縄県民は日本人ではないんだ」というのは後になって出てきたものですが、やがて教育の中でもそう教えられるように変わっていきました。それほどコンプレックスを持っていなかったはずの人たちまで、いつの間にか「ヤマトンチュー」(大和人)「ウチナンチュー」(沖縄人)という言い方を当たり前に使うようになってしまいました。もともとこうした言葉はただの区別で「○○県人」「本土の人」というイメージだったのですが、「我々はいじめられた」「被害者だ」という話になっていってしまったのかなと思います。しかし「日本人じゃない」というので差別されたというか、これは単なる言葉の違いであって、あまりに強調すべきものではないのではないでしょうか。

沖縄と日本を分断するためにアメリカが行った宣伝

沖縄の歴史書をアメリカ人が執筆

琉米文化会館という図書館がありました。文化交流という意味もあったと思うのですが、あれはアメリカの軍政府が作った図書館です。その入り口に『琉球の歴史』という本が置いてありました。この歴史書もアメリカのジョージ・H・カー博士という方が書いたものです。確か、GHQ絡みだったと思います。この本が沖縄の歴史書になってしまったんです。

戦後「沖縄人は日本民族ではない」と教えられた

内容については、あまり詳しいことまで全部覚えているわけではないのですが、大事な部分として、「日本人と沖縄の人は近い血統ではあるが民族的に違う」つまり、「日本人と琉球人は違う」ということが誇張されていました。今になって、あれが何のために書かれたのかを考えてみると、思い当るのが日本復帰運動です。ちょうどそのころに運動が起こり始めましたから、「あなた方は別なんだ」「祖先は同じではない」と強調するために、わざわざあの歴史書を発行して献本したのではないかと思います。それの影響もまだたくさんあると思います。

子供には教育、大人には報道で意識の刷り込み

戦後の教育とマスコミの影響で被害者意識を持つように

(現在の状況を見ていると、出版や教育によって「沖縄県民は違う民族なんだ」あるいは「日本からいじめられたんだ」とそういう被害者意識を持つようにずっとされてきたことが、基地問題等を観たときに大きなルーツとして)ありますね。戦後の教育の影響が一番大きいと思います。それとマスコミの影響ですね。マスコミは大人にとっての「先生」とですから。新聞から入れ知恵されているような状況です。結局マスコミから外れた感覚を持っている人たちはおかしいグループ扱いされますから、同じでなければならない状況ですね。

戦後教育の影響で国防を考えなくなった沖縄

(今、辺野古基地をめぐって揺れて、沖縄では米軍は出て行けと、あるいは翁長知事がケネディ大使に会って、ケネディ大使としては、辺野古移設が唯一の解決策だと改めて念を押したということがあって、沖縄が唯一の日米同盟の核の部分として機能するというよりは、どちらかというとアメリカを弾き飛ばそう、日本とアメリカの間に一つの楔を打ち込もうという立場になっているわけですが)沖縄は戦後教育の影響で本当に「国防」というものを考えないからそうなっていると思います。本当に「国防」を考えたときにはそういう考え方は改められると思います。

国防を無視してきた戦後教育とマスコミ

沖縄の場合はマスコミの影響が大きいですね。教育者たちは左が揃っています。そうするとそこには、ちゃんとした保守的な考え方の人は育たないですね。育ったとしてもそういう人たちの意見は新聞に載せてくれません。見せられるのは全部左の感覚ですから、学生そのものは皆、左にオンパレードですよ。私なんかからすると(マスコミが)そうまでやると、これは国を失っても(何も)感じない無責任な感覚だと大変心配しています。