1945年8月6日、広島。1945年8月9日、長崎。アメリカが落とした2つの原爆は、一瞬にして20万人を超える民間人の命を奪いました。しかし、アメリカでは「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だった」という考え方が一般的であり、この見解を否定すると激しい批判にさらされます。果たして、原爆は日本の侵略戦争を終わらせるために必要だったのでしょうか。

原爆投下の必要性についての検証

戦争の早期終結のためには本当に原爆投下が必要だったのか

原爆投下直後の意識調査によると、アメリカ人の85%の人が原爆投下に賛成という結果が出ています。また、今年4月に行われた調査でも、56%が「原爆投下は正当だった」と回答しています。「原爆が戦争を早期に終結させ、50万人から100万人のアメリカ兵の命を救うために必要だった」とされているためです。しかし、この説は事実に基づいたものなのでしょうか。

目的(1) 原爆の威力を見せつけてソ連に警告を発する

現在、開催されている原爆展の主催者で、『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』の共著者、アメリカン大学のピーター・カズニック教授は、この原爆必要論を否定。「『本土上陸戦を避けるために原爆を投下した』という説はまったくの嘘です。アメリカが原爆を落とした本当の理由は、ソ連に警告をするためでした。ソ連に対して『アメリカの計画を妨げたら原爆を落とすぞ』と知らせるためだったのです」と断言しています。

目的(2) 原爆の影響を知るための人体実験

さらにカズニック教授はもう一つの意図についても言及しています。
「アメリカはウラン原爆とプルトニウム原爆の2種類の実験をしたがっていました。もし第3の原爆があれば、3つ目の都市に落としていたでしょう。アメリカは原爆の人体への影響を知りたがっていたのです」
「アメリカは1947年には広島、1948年には長崎に『原爆傷害調査委員会』を設置しました。この委員会は、被爆者の治療を一切行わず、研究・調査だけを行いました。多くの被爆者が研究対象にされました。そこで彼らは大勢の研究者の前で裸にされ、恥辱的に扱われたのです。調査委員会は、飢えた被爆者たちを食料で釣りました」
「被爆者たちが亡くなっても、遺体は日本に埋められることなく、遺体の一部はしばしば実験のために、アメリカに送られました。アメリカは被爆者を治療しなかったのです。今も被爆者は、モルモットのように扱われたと感じています」

人体実験のために、20万人もの命を奪ったのなら、原爆投下は間違いなく人類に対する罪であると言えるでしょう。

原爆がもたらした悲劇 被爆者の声より

原爆がもたらした悲劇は、どのようなものだったのか。幸福実現党の釈量子党首が広島を訪ね、被爆された方々に当時の様子を聞きました。

一般市民を突然襲った史上最悪の爆撃

「ボーンといったら、そこに倒れて、そのまま意識を失って」
「ピカッと光って。びっくりした途端に、もう階段の上に吹き上げられたんですよ」
「20万の人間を殺したということは、大きな罪悪だと思いますよ」

灼熱地獄に響いていたうめき声

「火の海の中に自分が一人でおったみたい」
「熱いし、まわりが火の海ですし。みんな『お姉ちゃん、お水をちょうだい、お姉ちゃん、お水をちょうだい』って」
「私が見たのは、男の人の背中に乳房が垂れ下がったように、水ぶくれですね。皮膚は垂れてボロボロですね」
「苦しむ人のうなり声。夜中でも、うおーっ、うおーっと、もう身にしみるようなね。下の妹は『恐い』って言ってましたね」
「百貨店の中で、被爆して亡くなった人を焼いてるんですよ。中は商品はありゃしませんからね」
「その亡くなったのを、今度ね、焼かされるんですよ。それが一番つらかった」

体中がボロボロになっていた

「髪をすいたら、ずずーっと抜けたり、歯茎から血が吹き出たりしました。もう死ぬんかね、今日は死ぬんかね、今日生きたら明日はどうかねって、母がずっと心配したと言ってました」
「ずっと体じゅう、ウジがわいてるんですよ。それが耳に入って、かゆくてかなわん。『お兄ちゃん、耳がかゆくていけんのよ』っていうから見たんですね。もうかわいそうだなと思ってね」

家族を引き裂いた原子爆弾

「お母さんが赤ちゃんを抱いてこうしてられる。でも赤ちゃんを抱いとっても、お母さんは亡くなってるんですよ。そうしたら赤ちゃんのあごから上だけが出て、そして一生懸命、赤ちゃんがお乳を吸ってるんですよ。お母さんは死んでるのにね」
「『お母さん、お母さん』って何べんも呼んだら、下のほうで『ここよー』という声が聞こえた。まわりに火がついて、母が下敷きになってる下のほうから煙が吹いてきよったんです。父が『みんな、逃げんとだめになる。逃げるぞ!』って言ってね。その時に、もう母が階段の下敷きになっていて、『痛い、苦しい』とか言ってたんです。泣いたりしてね。だけど父が『逃げるぞ!』って言った時に、『お母さん、ごめんね、ごめんね』って言って。そうしたら、母の泣き声がなくなったんです。お母さんは、みんなが『逃げるぞ』って言ったので、助からんと思って、泣くのもやめちゃったのかなと思って。声もしなくなった」

原爆投下は人間として許されない行為

被爆者の方々のお話を直接聴いた釈党首は「8月6日のさまざまな描写を聞けば聞くほど、これ以上重い罪があるわけがないと、本当に感じました。神をも恐れぬ所業と言わざるを得ない話ですね。人間としてこんなことが許されるわけがない、という憤りで全身がわなわなと震えるような思いでした」と語ります。

「原爆投下は正しかった」という米国公式見解の問題

原爆の正当性を否定するだけで「歴史修正主義者」と批判される

しかし、原爆の正当性を否定すると、欧米では「歴史修正主義者」として批判されるといいます。これについて前出のカズニック氏は「馬鹿げた言葉ですよね。なぜなら、歴史学者たちのしていること自体が、歴史修正そのものですから。歴史学者は新しい証拠を見つけたり、新しい分析方法を見つけたりするたびに、その解釈を改め、挑戦していきます。ですから、すべての歴史学者は歴史修正主義者ですね」と話しています。

「日本とドイツは悪。米国と英国は無罪」という対比はフェアなのか?

ドイツの歴史学者であるエルンスト・ノルテ氏は「『日本、ドイツは悪くて、アメリカ、イギリスに罪はない』という対比は、あまりにも単純すぎます。見直さないといけません。否定するまでいかなくても、改善するべきです」と明言。加えて、「連合国側が行った戦争犯罪の中で、ドイツのユダヤ人迫害と同列における犯罪があるとしたら、それは原爆投下で無抵抗の日本人を殺したことでしょう。原爆投下はホロコーストよりも残虐な行為だと言えます」とも話しています。
原爆の被害にあった方からも「この原爆をね、黄色人種に落としたから問題なかったと思うんです。これが白色人種の所に落としたら、大問題になってると思うんですよね。20万の人間を爆弾で殺したということは、大きな罪悪だと思いますよ」という声が寄せられています。

原爆投下を後悔し続けている当時の戦闘機乗組員がいる

2015年6月には、幸福の科学有志が運営するエル・カンターレ財団が、ハワイのカウアイで「広島平和原爆展」を開催。代表のニコル・サクライ氏は来場者からこんな話を聞いたと言います。
「かつてワシントンD.C,に住んでいた方の話なのですが、彼には広島に原爆を投下したエノラ・ゲイに搭乗していた友人がいて、その人は、原爆を投下したことをずっと後悔し、苦しんでいたそうです」

戦後70年。今こそ事実に即して、先の大戦に対する歴史認識を改める時が来ています。

『「正しき心の探究」の大切さ』より

「『歴史認識』を言うのは構いませんが、私たちは、できれば、『片方だけが全部、間違っているということはない』ということも、よく知っておいたほうがよいと思います」
「戦後七十年間の良好な関係から見たら、アメリカのほうも、『先の大戦において、フェアでなかった面』や『日本のなかにも、防衛戦としての正義があった面』を、きちんと認めても構わない時期が、もう来ているのではないでしょうか」
「アメリカは世界最強国でありますけれども、やはり、強いがゆえに、『歴史認識とは何か』ということを考え、自らを振り返ることも大事であるはずです」
『「正しき心の探究」の大切さ』は全国の書店をはじめ、Amazonなどでお求めいただけます。

戦後70年、原爆投下を正当化し続けてきた論理の見直しを

戦後70年間、「日本が悪い国だったから、原爆を落とさざるを得なかったんだ」といって原爆投下の正当性がはかられ、この論理はアメリカのみならず、世界中で使われてきました。しかし、「私らは14歳ぐらいでこれほどまでに恐い思いをしなければならないほど、悪いことをした覚えはありません」との声もあるように、やはり原爆に関しては、落としたほうが悪いのです。日本は唯一の被爆国として、二度と核を落とす国が現れないように、原爆投下が人類に対する罪であることを強く発信していく必要があります。戦後70年、日本もアメリカも事実を見つめ、歴史認識をあらためる時に来ています。それが結果的には日米関係をより強いものとし、それがひいては世界平和に貢献することになるのではないでしょうか。

広島、長崎への原爆投下から70年。亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。