パク・ヨンミさん、21歳。
北朝鮮で生まれた彼女は、13歳のときに家族とともに脱北し、
中国、モンゴルを経由して韓国へと亡命しました。
そして現在、北朝鮮人権問題の実態を伝えるため、
さまざまな活動を行っています。

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パク・ヨンミ(朴延美)1993年北朝鮮恵山市生まれ。
ジャーナリスト、人権活動家。
2007年脱北。
2009年中国、モンゴルを経て、韓国に亡命。

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人権活動家パク・ヨンミさんの第一印象は「今どきのかわいい女の子」

インタビューのはじめに、あえて「仕事は何をしていますか?」
「休日は何をしていますか?」「彼氏はいるのですか?」といった
普通の質問を行いました。
普段の彼女の様子を知りたいと思ったからです。

ヨンミさんはこのように答えました。
「ジャーナリストをしています。大学に通いながら海外へ行ったり、
テレビ番組でインタビュアーをしたりしています」
「いまは休みが欲しいです。本当に休みがありません。
自由な時間が本当にないんです」
「(彼氏は)いたら嬉しいです。
もうすぐ誕生日なんだけど
、友達には『プレゼントはいらないから彼氏が欲しい』って言ってます」

その様子は一見すると、今どきのかわいい女の子、という印象です。

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ヨンミさんは現在、北朝鮮の最新情報を伝えるジャーナリストとして活躍中。

北朝鮮、中国での過酷な体験を語る

しかし彼女は、その笑顔からは想像できないような過酷な生活を送っていました。
以下にそのインタビュー内容をお伝えいたします。

生きてゆくため、父がやむなくブラック・マーケットを開く

ヨンミ 北朝鮮は人間が生きられる場所ではありません。
1990年題の大飢饉ではたくさんの人が死にました。
北朝鮮で育った私にとっては死んだ人を見るのは普通のことでした。
北朝鮮の人々は、政府に頼らず、自分たちで生きていくしかなかったのです。
だから人々はブラック・マーケットを始めたのです。
ブラック・マーケットで稼いでいる人はたくさんいました。
私の父もそうで、魚や米、砂糖などを売っていました。

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北朝鮮のブラック・マーケットの様子

親友の母が、外国の映画を観たために公開処刑

ヨンミ 中国を通じて、韓国のDVDやディズニー映画、日本映画を手に入れることができました。
実際、人々は秘密でそれらを売っていました。
ですが、北朝鮮で海外の映画を観ることは命の危険があります。
私が9歳のとき、私の目の前で、親友のお母さんが公開処刑されました。彼女はジェームズ・ボンドの映画を観たために銃殺されたのです。
金正恩が権力の座に就くと、彼は映画を観た罪で一日に80人もの人を銃殺しました。

父が強制収容所に連れられ、母とは引き離され、幼い姉妹だけで生きた

ヨンミ 父が違法取引で強制収容所に連れていかれたとき、人生が終わったと思いました。
これからはもう何もできなくなってしまうと感じました。
父が収容所にいた3年間、母も尋問されつづけました。
彼らは私たちから母を引き離しました。
私は9歳か10歳でしたが、姉と二人だけで生きなくてはならなかったのです。
私は本当に何でも食べなくてはなりませんでした。
草や花、トンボやカエル、虫も食べました。

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左からヨンミさん、父、母、姉

中国初日、ブローカーに会ったときのエピソード

ヨンミ 中国に渡った最初の日、私たちはブローカーと会いました。
彼は私と「結婚したい」と言いました。私はまだ13歳でした。
母は「何を言っているんだ」と言いました。
彼は「私を奴隷にする」と言いましたが母は断りました。
すると彼は「警察を呼んで北朝鮮に送還させるぞ」と脅しました。
私たちは戻るわけにはいきませんでした。処刑されてしまうからです。
13歳の私の目の前で彼は母を暴行しました。
その後に父と合流し、ブローカーは私たちを中国国内へ連れていったのです。

病死した父の遺体を埋めにいく

ヨンミ 中国では私たちはずっと隠れていなければなりませんでした。
私たちはずっと飢えていて、父は結腸ガンを患っていました。
しかし治療する余裕もなかったのです。父は中国で亡くなりました。
私は朝の3時に遺体を埋めにいきました。
隠れていないといけないので泣くこともできませんでした。

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左から父、ヨンミさん

北朝鮮の人々が自由になる日のために

13歳で脱北したヨンミさんが韓国に亡命したときには、
すでに17歳になっていました。
韓国に初めて入ったときの感想を、
「同じ世界で人々がこんな暮らしをしているなんて
想像もできませんでした。
中国や北朝鮮にいるときは
この世は暗い世界だと思っていました」と話します。

よんみ

10代のとき壮絶な体験をしたヨンミさんは、
北朝鮮の人々を救いたいと願う、前向きで強い女性でした。
講演やインタビューで、
彼女は「北朝鮮の人々は自由になりたいと願っています。
逃げたいと願っています。自分たちの望むように生きたいと願っています。
しかし彼らの力はまだ十分ではありません」と世界に訴えかけます。

彼女はインタビューの最後にこう言いました。 

「最も幸せなことは自由でいられることです。
好きな服を着られるし、誰も私を拘束しません。
そして世界に『北朝鮮は恐ろしい所だ』と発言することもできます。
何でも言うことができます。なぜなら私は自由だからです。
いま私は書くことも話すこともできます。
たくさんの講演もしています。
北朝鮮の人々の声を世界に知らせるためにベストを尽くします。
いつか北朝鮮の人々が自由になる日がくると信じています」

自由の大切さとありがたさを改めて感じさせられた今回のインタビュー。
ザ・ファクトは、自由と民主主義のために戦う人々を応援します。

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