10月31日、下村文部科学大臣は、来年春の開学を申請していた幸福の科学大学に対して、不認可の決定を出しました。

幸福の科学大学不認可の理由とは?

今回不認可という決定に至った理由として、文部科学省は答申の中で2つ理由を挙げています。
1つ目は「幸福の科学で出している霊言は科学的合理性が立証できていない」という点。文部科学省の答申の中では、わざわざ「宗教の部分に踏み入った判断ではない」と書かれていますが、「宗教の教義」に対して政府がなんらかの判断を下すということは、きわめて異例であり得ないことです。当然「幸福の科学大学」ですから、幸福の科学の教えがベースになっています。それを今回このような理由で、国家の側が宗教行為の中身にまで入って不認可にしたということは、大変重大な「憲法違反」「政教分離違反」の疑いがあります。
2つ目は「不適切な行為があった」という指摘。不適切な行為とは「霊言の書籍が送られてきた」ということを指しているようで、審議の審査のプロセスとして不適切という判断をしたようです。しかし、霊言の出版自体はどこの出版社でもやっていることであり、本を出版してその関係者に読んでもらうことは、明らかに「言論・出版の自由」「信教の自由」の範囲内であり、なんら問題のない行為です。

宗教系大学を全否定するのか?

今回の判断はほかの宗教系大学にも大きな影響があるでしょう。
幸福の科学は霊言から始まっていますが、これは他の宗教も基本的には同じです。
キリスト教であれば、イエス・キリストが「父なる神が我に入りて語っているのだ」と言っていますし、日本の天理教も霊示を受けたものが『おふでさき』という一つの教義になっています。
桜美林大学などもホームページを見ると、「しっかりとキリスト教を教える」ことが書かれているわけです。
今回の不認可の判断は、これらすべてを「合理性がない」「科学的ではない」と否定することになります。聖書の教えを学んでいるキリスト教系大学や、『おふでさき』を学んでいる天理大学も、すべて否定するということであれば、これは大変な「学問の自由」の侵害になり、日本の宗教系大学はどこもやっていけなくなります。

今回の不認可は大変重大な「憲法違反」の判断

戦前、天理教は国家によって弾圧されています。「天理王命(てんりおうのみこと)という神様が霊示を送ってきている」という主張が本当かどうかの取り締まりを受けたのです。
このように霊言の判断を政府がして、弾圧を受けた宗教が戦前にありましたが、戦前起こったことが、今、この幸福の科学大学、幸福の科学をめぐって再度起こっていることになります。
戦前は言論統制や宗教弾圧がありましたが、その反省のもとに、戦後は憲法が「学問の自由」「信教の自由」さらには、そうしたものを表現し出版する「言論・出版の自由」を大切にしてきたはずです。その観点からすると、今回の不認可の判断は大変重大な憲法違反ということになります。
文部科学大臣も文部科学省も、自分たちがやっていることがどういうことなのか、まったく理解していないのでしょう。

不認可は下村文科大臣の私怨が原因?

なぜこのような恐ろしい決定を、下村文科大臣は出したのでしょうか。
今回幸福の科学出版より下村文科大臣の守護霊の霊言が出版されたわけですが、これ自体を文科大臣が嫌がっているという事実があるのではないでしょうか。文科省からの答申を読むと、個人的な感情が入っているとしか読めません。例えば下村文科大臣の守護霊霊言が「新聞広告に出たからといって、信用性があるということが証明されたわけではない」ということを、わざわざ書いているのです。
本人の「嫌だ」という個人的な感情が答申のなかにそのまま入っており、個人的な答申なのか文科省の答申なのかわからない状態になってしまっています。これは、文部科学省としての正式な公式文書が、私的に利用されているとも言えるのではないでしょうか。

不認可による具体的な被害は?

今回の不認可をとおして、大変な被害が出ています。
千葉県の幸福の科学大学の建立予定地では、建物がほぼ完成していますし、進学希望の方々も数多くいました。
さらには宗教法人幸福の科学の信者の方々です。幸福の科学の教義のなかでは、霊言というのは非常に重要な位置を占めています。幸福の科学で信仰をしている対象の大川隆法総裁が、これだけたくさんの霊言を降ろす存在であるという、信仰の中心部分に関わる話です。これを政府の公式な文書として否定をしたということは、明確な「宗教弾圧」であり、この精神的な被害は大変大きなものがあるでしょう。
宗教弾圧が公然と行われたという意味では、日本という国が、とても怖い国になっているということです。
今、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が、産経新聞の前ソウル支局長を起訴したことが、国際的にも批判され、大問題になっております。日本においても大臣に関する本を出版したら、それが結果的に大学を認可しないという形で、国家による弾圧が行われたということは、同じように怖い国になってきていると思わざるを得ません。

いま「人権」「自由」が脅かされる時代が来ている

いずれにしても、「学問の自由」「信教の自由」さらに「言論・出版の自由」という、戦後日本が大事にしてきた「人権」あるいは「自由」というものが、いま、脅かされる時代が来ていると言えます。この決定自体は政権としての決定ですから、その意味では、今回の問題は下村文科大臣だけの問題ではありません。今、安倍政権がやや危険な方向に向かっているということを、私たちは認識したほうが良いのかもしれません。

ザ・ファクトでは、引き続きこの問題を追及してまいります。