戦争体験 【全文】河野洋平に「談話」取り消しを訴えた元憲兵曹長の手紙【掲載】 2016.01.22 | 歴史認識, 戦争体験 1994年、「河野談話」取り消しを訴え、 元陸軍曹長の故・吉冨正光さんは 当時の外務大臣、河野洋平氏に手紙を出した。 それは、いわゆる「河野談話」の内容が、 吉冨さんの知る慰安婦の実情と大きく違っていたからだ。 ここに、その手紙の全文を掲載する。 こちらもお読みください 【重要証言】葬られた手紙―元… 続きを読む 【重要証言】葬られた手紙―元憲兵曹長が河野洋平氏に訴えた慰安婦の実情― 2015.11.10 | 歴史認識, 戦争体験 2016年1月22日 記事を大幅に修正・加筆しました。 手紙の全文もアップしました。 1994年、戦時中に陸軍曹長だった故・吉冨正光さんは 当時の外務大臣、河野洋平氏に手紙を出した。 それは、いわゆる「河野談話」の内容が、 吉冨さんの知る慰安婦の実情と大きく違っていたからだ。 こちらもお読みください… 続きを読む 【東京裁判】自虐史観はこうしてつくられた【大東亜戦争は侵略戦争ではない】 2015.08.26 | 歴史認識, 戦争体験 続きを読む 日本兵もアメリカ兵も親切だった!サイパン戦の重要証言 2015.08.19 | 歴史認識, 戦争体験 サイパン戦を16歳の時に経験した方へのインタビュー 1944年6月15日からの約1カ月間、マリアナ諸島サイパン島において、アメリカ軍と日本軍との戦闘がくり広げられました。日本側の戦死者はおよそ3万人にのぼったのに対し、アメリカ側はおよそ3,000人。10倍以上の犠牲者を出したサイパン戦は、まさに玉砕… 続きを読む 日本と沖縄の分断工作 アメリカが行った宣伝とは 2015.07.25 | 歴史認識, 戦争体験, 沖縄 沖縄戦を9歳のときに体験した方へのインタビュー 今回ザ・ファクトの取材に応じてくださった方は、9歳の頃、両親と弟の家族4人で沖縄戦を体験されました。戦争が激しさを増すと、那覇から壕を転々としながら、沖縄南部へ避難する生活を余儀なくされます。必死で両親の後をついていった移動中に、一家は米軍の激しい艦砲… 続きを読む 「史上最大の海戦」レイテ沖海戦の生き証人が語る、大東亜戦争 2015.07.09 | 歴史認識, 戦争体験 大東亜戦争末期、日本本土攻撃を目指して太平洋を次々に侵攻するアメリカ。これを阻止するための戦いが、フィリピン・レイテ沖で行われました。この戦いは「史上最大の海戦」と言われるほど多数の軍艦が投入され、日米両国ともに総力を挙げた戦いとなりました。今回のザ・ファクトでは、この激戦を戦った元海軍の方にお話を… 続きを読む 元ひめゆり学徒隊員が語る沖縄戦 2015.06.20 | 歴史認識, 戦争体験, 沖縄 民間人を含め、日本側に18万人を超える死者を出した沖縄戦。この戦いでは、学生を中心とする学徒隊が沖縄各地で結成され、女学生は看護要員として、男子学生は鉄血勤皇隊や通信隊として、戦場に赴きました。ひめゆり学徒隊に志願した方にお話を聞きました。以下はそのインタビュー内容です。 戦線に合流できないことが苦… 続きを読む 沖縄戦を体験した元看護婦が証言「『本土に見捨てられた』なんて思ったこともない」 2015.06.19 | 歴史認識, 戦争体験, 沖縄 昭和20年、民間人を含め、日本側に18万を超える死者を出した沖縄戦。沖縄戦開戦をきっかけに従軍看護婦に自ら志願し、25人中10人が戦死したという「石部隊」の従軍看護婦の方にお話を聞きました。以下はそのインタビュー内容です。 那覇市内にあった看護養成所で看護婦を目指していた 看護婦を志した理由について… 続きを読む 沖縄戦の重要証言 「『沖縄が捨て石』というのは戦後の論調だ」 2015.06.19 | 歴史認識, 戦争体験, 沖縄 大東亜戦争末期の沖縄戦で、祖国を守るために特攻隊に志願した、沖縄出身の方にお話を聞きました。以下はそのインタビュー内容です。 沖縄県民としてもっている戦争への気持ち 沖縄を守りたい、日本を守りたいという気持ち (先の戦争のとき、私は)満州に行っておりました。敗色がはっきりしていましたから、「沖縄が危… 続きを読む 特攻隊員たちの遺書 戦没者慰霊祭に参列して 2015.05.16 | 歴史認識, 戦争体験 5月3日、鹿児島県南九州市で知覧特攻基地戦没者慰霊祭が行われました。 かつての特攻基地で執り行われた戦没者慰霊祭 慰霊祭の会場となった知覧特攻平和会館は、かつて特攻基地だった所です。その特攻平和観音堂前で式典が執り行われました。日本全国各地から、元特攻隊の方やご遺族、地元の方などおよそ1,000名が… 続きを読む 1 2 3 次へ »