戦後70周年、安倍談話はどうなるのか

いよいよ2015年の政治が動き始めました。年初から大きな話題となっているのが、「安倍談話」がどうなるのかということです。朝日新聞(1月7日付)にも、「反省の表現が焦点である」と出ています。これを簡単に解説すると、1995年、戦後50周年の節目に時の村山総理が発表した「村山談話」で、はっきりと先の戦争を「侵略戦争であった」と認め、そしてお詫びと謝罪をしました。その方向は、2005年の「小泉談話」に踏襲され、そして戦後70周年の今年、「安倍談話」は果たしてこの「侵略戦争」を認めるのかどうか、大きな争点となっているわけです。

歴史認識を正さない限り、憲法9条改正はできない

実はこうした談話の問題は、安倍総理が悲願としている「憲法9条の改正」とも大きなつながりがあります。そこで申し上げたいのは、「歴史認識を正さない限り、憲法9条改正はできない」ということです。このキーワードをぜひ覚えておいていただきたいと思います。どういうことかというと、憲法9条というのは有名な「戦争放棄」という言葉で表現されております。これは「先の戦争において日本人が侵略を行った。ひどいことをした。だから戦争を放棄するのだ」という解釈が成り立っているわけです。したがって、この歴史認識の絡みで言うと、これは東京裁判史観とも言われますけれども、「日本人というのは危険な恐ろしい民族である、こういう恐ろしい民族に武器を与え、戦争をすることを認めてしまったら、何をするかわからない。これを封じ込めよう」というのが、現在の日本国憲法であったわけです。

憲法改正をしたいならば、歴史認識を正せ

戦後70年間、日本国内の憲法を守ろうとする勢力、さらに中国や韓国、あるいはアメリカもしばらくそういう立場でしたけれども、「日本人は悪いことをした」という歴史観に立って、憲法9条の改正に反対してきたわけです。したがって、安倍総理が憲法9条改正をどうしてもしたいのなら、先の戦争で日本は悪いことをした、一方的にひどいことをしたのだという歴史観を覆さねばなりません。その意味において、この村山談話・小泉談話を踏襲して、先の戦争を侵略戦争だと認め、お詫びをするということは、憲法9条改正と矛盾することなのです。つい最近も報道があったとおり、アメリカでは今、最大手の教科書で「日本人が南京事件で40万人の大虐殺を行った」ということを、高校で教えているそうです。こうした歴史観が日本国内や世界に生き残っている限り、「日本人に憲法9条を改正させたら何をまたやるかわからない」という危機感が生まれ、そういう危機感をもとにした声で、憲法9条改正の芽はつぶされてしまいます。安倍総理が本当に憲法改正をしたいならば、歴史認識を正さなくてはなりません。その大きな一歩となるのが、今年の「安倍談話」だと思います。

ザ・ファクトでは何度も言ってきたように、「先の戦争は侵略戦争ではなく日本の自衛のための戦いであり、アジアの植民地解放の戦いであったということ」、こうした正しい歴史認識をこそ、今、歴史に刻みこまねばならない時に来ています。