2016年1月22日 記事を修正・加筆しました。

朝鮮総督の官吏として、終戦までに2つの郡の内務課長を歴任した西川清さん(インタビュー当時97歳)。
西川さんは「河野談話」の取り消しを求めて安倍総理に手紙を書いた。
その手紙に込めた思いと当時の朝鮮の実情について聞いた。

こちらもお読みください

【重要証言】葬られた手紙―元憲兵曹長が河野洋平氏に訴えた慰安婦の実情―
「談話」取り消しを河野洋平氏に訴えた元憲兵曹長の手紙(全文掲載)
私が見た慰安婦「私の戦友は慰安婦と婚約しました」
私が見た慰安所「強制連行などなかった」

nishikawasann

西川清さん 大正1915年生まれ。
朝鮮総督府の官吏として、終戦までに2つの郡の内務課長を歴任した。

安倍総理宛てに「河野談話」の取り消しを嘆願

総裁選で「従軍慰安婦問題を見直す」と発言

西川 安倍さんが総裁選に立候補する時に、「従軍慰安婦問題を見直す」と言ったことを覚えています。
だから私は、ありもしない従軍慰安婦の存在を認めた「河野談話」を取り消してくださいと、安倍総理に手紙を出したんです。

「河野談話」による謝罪は大間違い

西川 売春をしたという、ごく一部の人の話だけで「軍が強制した」などと決めつけて謝罪するのは、大きな間違いです。
当時はみんな、お国のために命をかえりみず働いていましたし、それが日本軍人の誇りでした。
18、19の年齢で特攻に行った人の精神を見てごらんなさい。今の若い人とは全然違うのだと思います。
「従軍慰安婦」など、当時の軍人や役人への侮辱も甚だしいことです。
ぜひとも「河野談話」を取り消してもらいたいと思います。

朝鮮総督府 元内務課長が語る、当時の朝鮮の実態

平穏な朝鮮に規律正しい日本軍がいた

西川 当時の朝鮮には、日本と違って空襲がなく、平穏でした。
そこで悪いことをする日本兵は1人もおりませんでした。日本の軍隊ほど規律正しいものはなかったですから、
もし悪いことをしたら必ず憲兵が引っ張っていきます。

西川さん

総督府が所定の手続きを踏んで朝鮮人を徴用

西川 当時、朝鮮人の男子青年には徴用があり、総督府がきちんと所定の手続きを踏んで集めていました。
女子に徴用はなく、もし軍が慰安婦を集めようとすれば、同様の依頼や手続き、実務があったはずですが、
そのようなことは一切ありませんでした。

「従軍慰安婦」という言葉は日本の敗戦後に朝鮮が作った

「従軍慰安婦」という言葉の不可解さ

西川 従軍慰安婦というのは日本が負けてから朝鮮が作った言葉です。
自分で勝手に売春するだけなのに、ずいぶんと「カッコイイ」名前を作ったものですね。
当時、従軍と名が付いたものは、看護婦、記者など、ごく限られたものだけでした。

慰安婦を連れて行ったのは朝鮮人

西川 戦地で慰安婦を買ったことがある人というのは当然います。
兵隊がいる所には慰安婦がたくさん集まってくるものです。
それは若い男がたくさんいる所に行けば、売春婦は儲かりますから。
しかしそれを日本軍や日本の官吏が世話したり、無理に女性を連行したりすることは絶対にありません。
それをやるのは、売春婦を売り買いする朝鮮人です。
彼らが売春婦を買って連れていったり、さらっていったりしたことはあったかもしれません。
そうしてできた民間の慰安所に、兵隊個人が休みの日に勝手に行くことがあっても、それは軍が強制したことではないわけです。

占領軍が押し付けた憲法は破棄すべき

西川 「日本がもう強くならないように」と、占領軍が押し付けた憲法など破棄すべきです。
そうでなければ日本は実質的占領国で、独立国とは言えないでしょう。
ただ単に、金回りが良くて食べ物着る物に困らず贅沢ができる、財政的な面で復興しただけです。
本当に誇りある日本人の良いところはなくなってしまっていると思います。

朝鮮総督府 元内務課長から安倍総理に宛てた手紙より

ないむかちょ

西川 「日夜国事に精励されている総理大臣に対し、
名もなき一介の老耄(ろうもう)がお手紙を差し上げるご無礼をお許しください。
私は生きているうちにこれだけは申しおきたいと思う一事(いちじ)があります。
それは、いわゆる従軍慰安婦なるものについてであります。
結論から申せば、朝鮮(北朝鮮及び韓国)等の言う従軍慰安婦なるものに、
日本の軍や官が強制連行など関係したことは絶対ありません。
かく私が断言することができるのは、私が朝鮮・江原道の寧越郡及び原州郡の内務課長を歴任した経験があるからです。

西川 以下、当時の状況等について申し述べます。
私は昭和8年に朝鮮に渡り、江原道庁に奉職致し、敗戦により引き揚げてくるまで勤め、その間一年間臨時招集により入隊しました。
朝鮮の行政は、総督府から道庁に伝わり、道庁から出先機関の郡庁に伝わり、
郡庁より府・邑・面(日本の市町村)を通じて施行されました(当時、江原道内には府はなく、邑と面のみ)。
郡長は郡守といって、殆どが朝鮮人で、その下に内務課、勧業課があり、
内務課長は殆ど日本人で、経験豊かな四十歳を越す属官で、人事その他一般事務を司り、郡庁の実権を握っていました。

西川 内務課長の所轄事務のなかに邑、面の指導監督や兵事等もありましたが、
朝鮮人に徴兵の義務がありませんので、兵事は主に在郷軍人に関するものぐらいでした。
朝鮮人男子青年には徴用があり、総督府より道に対し人数の割り当てがあり、
道はこれを郡庁に、群庁はこれを邑、面に対して割り当てをして、集めた青年を釜山に連れて行き、総督府の係官に引き渡しました。
女子に対してはこのようなことは一切なく、軍が慰安婦を集めんとすれば、
朝鮮軍司令部が総督府に依頼して、前述の系統をたどり集めるしかありませんが、このようなことは一切ありませんでした。
売春婦が強制連行されたの、拉致されたというのは、女衒かその類の者の仕業であって、
軍や官は一切あずかり知らぬことであります。
日本婦人でも売春婦として軍の居る所に多くいましたが、
一人として従軍慰安婦などという者が居たでしょうか。
日本人と違って、恥を恥とも思わず、金さえ儲かれば良いと思う輩が、
敗戦により日本人が委縮しているのにつけこんで、あらぬ嘘を申し立ててくるなんて腹立たしい限りです。

西川 今はもう、総督府の事務官はじめ、道や郡の行政府にも軍にも当時の実情を知る者は殆ど亡くなられたものと思われます。
然るに、今を生きる日本人のなかにも、自虐性に富む輩のうちに、
従軍慰安婦なるものに軍や官が関与したなどと申す者がありますが、
朝鮮売春婦の故郷とも申すべきスルチビ(居酒屋)、カルボチビ(娼家)の戦前戦中の実態も知らぬくせに
いいかげんに机上の空論をもてあそぶのは誠に慨嘆に耐えません。
国威を失墜し児孫に負の遺産となる河野談話の見直しは、安倍総理を除いては望むべくもありません。
ぜひぜひ誇りある日本の為に、この際断固たる訂正を心からお願いし奉る次第であります。
最後になりましたが、邦家の為にも総理のご健康をお祈り致します」

西川さんのもとに安倍総理からの返事はいまだ届いていない。
朝鮮総督府内務課長の憂国の思いは届いているのだろうか。

こちらもお読みください

【重要証言】葬られた手紙―元憲兵曹長が河野洋平氏に訴えた慰安婦の実情―
「談話」取り消しを河野洋平氏に訴えた元憲兵曹長の手紙(全文掲載)
私が見た慰安婦「私の戦友は慰安婦と婚約しました」
私が見た慰安所「強制連行などなかった」