2016年1月22日 記事を大幅に修正・加筆しました。
手紙の全文もアップしました。

1994年、戦時中に陸軍曹長だった故・吉冨正光さんは
当時の外務大臣、河野洋平氏に手紙を出した。
それは、いわゆる「河野談話」の内容が、
吉冨さんの知る慰安婦の実情と大きく違っていたからだ。

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「談話」取り消しを河野洋平氏に訴えた元憲兵曹長の手紙(全文掲載)
朝鮮総督府 元内務課長が証言「従軍慰安婦はなかった」
私が見た慰安婦「私の戦友は慰安婦と婚約しました」
私が見た慰安所「強制連行などなかった」

吉富2

吉冨正光さん 1918年福岡県生まれ
元 北支那特別警備隊第四大隊 憲兵曹長

「河野談話」

吉冨さんが撤回を求めた「河野談話」は、1993年8月、
当時、内閣官房長官だった河野洋平氏が出した談話で、
慰安婦問題に関する日本政府の公式見解を表したものだ。

『河野談話』(抜粋)


「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、
その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた」


「また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」


「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」


「本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」
                          

まるで「戦時中、日本軍は若い女性たちを強制的に連行し、
慰安所に閉じ込め、慰安婦として強制的に働かせた」かの
ような「河野談話」の表現に、
当時の慰安所や慰安婦を知る人たちはみな首を傾げる。

吉富3

そこに描かれる慰安婦像は、彼らが見聞きした「事実」とあまりにも違うのだ。
ザ・ファクトでも、戦場に行った多くの方々に話を聞いたが、
誰一人、「河野談話」の内容を肯定しなかった。

むすめ

娘・山口直子さん

「『ありえないことを、さもあったかのように言うのは許せない』と言っていました。
『実際に俺は(慰安婦受付の)手続きをやったんだからそれだけは書いて俺は送るから』」
吉冨さんは、娘の山口直子さんにこのように語り、
「河野談話」の撤回を求め、河野洋平氏に手紙を送った。

河野洋平氏への手紙

その手紙は『朝鮮人従軍慰安婦問題に対する私見』 と題され、
原稿用紙7枚に綴られている。
以下に抜粋を御紹介します。



『朝鮮人従軍慰安婦問題に対する私見』(抜粋)

主題の件がマスコミに採り上げられた頃から
注意深く見つめておりましたが、
私が当時本件に関係していた実情と
問題の表面化と活動展開の様相は
余りにも離れすぎている事に対して、
日本国民として一市井民として頗る
自憤に耐えないので、一筆啓上いたします。

一、朝鮮人慰安婦は強制連行ではない。
私が、憲兵兵長として勤務していた、
邯鄲憲兵分隊には領事 警察が駐在していなかったので、
憲兵の兵長の私が、
四・五回本件の受付業務を担当したのであります。

要するに、必ず仲買人の朝鮮人が
介在したのであります。

婦女子を無理やりに逮捕して慰安婦に仕上げる
という報道パターンは笑止の至りです。
若し、邯鄲憲兵分隊で営業属した慰安婦が申し出ている場合は、
敢て証人として出会うことを誓います。

嘗て、帝国の軍人が朝鮮婦女子を不意に逮捕して
慰安婦として稼働させるとは笑止千万の限りで、
世界中の未開発を称される国でも
斯様なことは在り得ないと存じます。

現代の日本人の文化人をと称する人は
『どうして日本国と日本人』を
悪者に仕立てるのでしょうか。

『朝鮮人従軍慰安婦問題に対する私見』全文はこちら


しかし、手紙には河野氏からも外務省からも返事はなかった。
返事を待ちながら、吉冨さんは娘婿の山口光生さんに
「全然返事がない、どういうことだ」
「知りもしないくせに知ったかぶりして」と度々、漏らした。

むすこ

娘婿・山口光生さん

娘の直子さんは、父親の誠意に答えなかった
河野氏と外務省に対する思いがある。

「とてもやっぱり残念だと思います。
父は『強制労働はあり得ない』と言っていました。
部隊が動くと慰安所の人達も
『兵隊さん兵隊さん』と言ってぞろぞろ付いて来ていた、
と言っていました。
だからそれは(慰安婦たちの)意思でですよ。
絶対、強制はありえない」

強制連行の証拠は未だに見つかっていないにもかかわらず、
23年経った今も「河野談話」は否定されていない。

河野洋平氏に手紙を出した、吉冨正光さん。
その思いは誰かが継がねばならない。

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