脱北した元強制収容所看守のアン・ミョンチョル(安明哲)氏。
アン氏は自身が見た強制収容所の驚愕の実態をイラストに描き、その悲惨さを訴えています。
アン氏のインタビューは北朝鮮強制収容所・元看守が語る「人権侵害の実態」で紹介した動画の中で一部公開していますが、
今回はインタビュー全文を前編、後編に分けて掲載します。

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北朝鮮人として国連委員会の報告書についてどう思うか?

質問者 今回(2014年)の国連調査委員会の報告書をどう評価するか。

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アン 昨年(2013年)3月にCOI(Commission Of Inquiry: 国連事実調査団)が設立され、
8月韓国にCOIがやってきた時に、
北韓民主化運動本部(※アン氏が事務局長を務める収容所問題を追及するNGO)と
収容所体験者がたくさんの証言をしました。
私たちが望む、つまり北朝鮮が国家的レベルで
国民に対して反人道犯罪を犯したということが盛り込またので、
私たちはとてもありがたく思いました。
それとともに、金正恩政権、北朝鮮政府をICC(国際司法裁判所)に提訴すべきだと
強く提起したことを歓迎します。

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それから、第一の責任は北朝鮮にありますが、
第二の責任が中国にあるということ、
中国の国際的地位は向上しており、
それだけ責任が大きいということを記しています。
私たちが望んだ内容で調査報告書が出たので、歓迎する脱北者が多いです。

質問者 北朝鮮の反応として、
「我が国に人権侵害などない」などと言いながら、
報告書を非難する声明を発しました。
「人権侵害はない」と言っていますが、実際のところはどうですか。

アン 北朝鮮はいつもそうなのです。
「北朝鮮には政治犯収容所はない」
「北朝鮮では人民が幸福に暮らしている」と常々嘘をついてきました。

ですが、本当に収容所がないというのなら、
では私が勤務していたところは何なのか。
私は4つの収容所で勤務しました。
収容所の警備をやっていた私も韓国に来ているし、
その収容所に囚人としていた人も脱出して来ている。
その人たちがどこからやってきたというのか。

話にもならないことを言い張っていますが、
今からでも遅くはないので、きれいさっぱり認めて、
収容所に対する査察を受け入れよ、
そして収容所に囚われている20万人を速やかに解放せよ、と言いたいのです。
北朝鮮の振る舞いはまったくお笑いものです。


北朝鮮では収容所の存在は一級秘密

質問者 韓国にいる脱北者にアンケートをとっても
収容所について知らない人も多いようです。
北朝鮮国内の人はどう承知しているのですか。
大部分の人は知っているのでしょうか。

アン 管理所、収容所の存在について知っている人も一部にはいますが、
知らない人も多いのです。
知っているのは管理所の周辺に暮らす人々、
自分の親族の中に収容所送りになった人がいる場合、
また高い地位に上るほど、
忠誠心を高めるために国家が多くの恩恵と富を与えるのですが、
望まれるほどの忠誠を示さないと処分もまた強いものになる、
それがまさに収容所送りだということを
相応の地位の人たちはたいてい知っているのです。
ですから知っている人は知っているが、知らない人は知らない。

その上に、収容所そのものが北朝鮮では一級の秘密です。
秘密保安事項なので一般の人たちは知らないのです。

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雑草を食べているところを見つかり、虐げられる囚人(アン・ミョンチョル 描)



質問者 どのような人たちが政治犯として収容所に送られるのですか。

アン  時代によって異なるのですが、
収容所が初めてできたのが1958年からです。
金日成の独裁時代が始まって、
反対派を粛清していく中で収容所ができはじめたのですが、
50年代末ごろから60年代までは金日成に反対した人たち、
日帝時代に日本のために服務した、北朝鮮の言葉で言えば親日派、
朝鮮戦争当時、北朝鮮地域に進出した米軍に協調した人たち、
金日成独裁の過程で粛清された人たち、
そういう人たちを中心に捕えたのです。

70年代に入って、金正日が後継者に選ばれてからは、住民を分類しました。
核心、動揺、敵対の3階級、58の階層に分類したのですが、

越南者家族、日本からの帰国事業で渡ってきた在日同胞たち、
言葉をしくじった人たち、金正日が10大原則というものを作ったのですが、
それに背く人たちを捕まえたのです。

ですから70年代から80年代初頭にかけて収容所の収容人数が爆発的に増えました。
手当たり次第に捕まえので。

80年代半ばに入ると、住民調査事業をまたやりました。
そこで「過酷にやりすぎた」という人たちと
本当に処罰すべき人たちをまた分離して、
一部は釈放し、北朝鮮の体制にとって政治犯とみなされた人たちは
収容所に入れられたまま今日まで来ました。
80年代後半に釈放された人は多数いるのです。

そこまでの過程で収容所としてしっかり固まった。
私が1987年に収容所の警備隊員として入隊した当時、
収容所は12ありました。
それらが80年代末から90年代初頭にかけて統廃合され、
現在の6つの収容所に整理されました。

最近は脱北者たち。
中国から強制送還された脱北者や韓国のビデオを見た者、
聖書に触れた者たちを収容所送りにしています。
時代によって違いがあります。

収容所は「現代の奴隷」を放り込む場所

質問者 一言で言うとすると、収容所はどんなところですか。

アン 簡単に言えば現代版の奴隷を放り込んでおくところ。

質問者 収容所内の人たちはどんな扱いを受けるのですか。

アン 収容所には二種類あります。
革命化区域と完全統制区域とがあって、
革命化区域の場合は最長3年の短い期間に思想改造をしてから社会に戻すところ、
完全統制区域は一度入ったら出られない終身収容所です。
革命化区域にいる人たちは社会にまた戻る人たちだから処罰の強度、
教育は完全統制区域に比べると少しましなのです。
社会に戻さなければならないから。

完全統制区域にいる人たちは、どの道その中で殺す人たちなので、
教育をする必要もないし、生かそうが殺そうが構わない、
収容所内の独自の規則があるのですが、
それに背く場合は果敢に処罰する制度が別途あるのです。

革命化区域は解放される機会が与えられる所だとすると、
完全統制区域は入ったら死んだも同然です。

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アン氏が勤務していた収容所の全景(アン・ミョンチョル 描)


質問者 収容所内の人には自由はありますか。

アン ありません。収容所内の人たちには守るべき規則があります。
朝、明け方の何時から、冬季と夏季では日課が少し違うのですが、
夏季は明け方の5時から働かなくてはならない、
夜の10時まで働かなくてはならない。
収容所ごとに時間割があります。
それにそってテキパキ動かなければならない。
移動するときにはひとりでは移動できません。
3人組ないし5人組で動く。単独では動けない。
夜の10時以降は通行禁止だし。

収容所の人たちは自由とは何かも知りません。
自由という言葉も知らない。
その中に入れば機械的に日課を果たすだけですから。

質問者 奴隷、あるいは働く機械?

アン 働く機械ですね。
二本足で立って歩いているから人だというだけで、獣も同然です。
意識を持った獣というか。

もちろん当人たちは苦痛を感じている。
当然感じています。
ですが、本人が罪を犯したのであれ、父親が犯したのであれ、
収容所の中の規則と規律に背けば死ぬことになるのは分かっている。
ですから無条件服従するようになる。
収容所で3年も過ごせば
「無条件に服従しなければならない、そうでないと死ぬことになる」と。

囚人を統制する手段は食べ物と暴力です。
暴力・暴行は日常化されているし、強制労働は食べ物でコントロールする。
割り当て分を達成できないと食事を与えない。
すると本能で食べるために割り当てを達成しようとする。
しかしその割り当てはたいへんな量です。
一般人の単位時間当たりの労働の4倍にはなります。
同じ時間内での収容所での労働量です。

囚人に強制される「規則」とは

質問者 具体的に何をしたから拷問にかけ、
何をしたから殺す、
とはっきりした規定があるのですか。
それとも看守たちの思うがままなのですか。

アン ひとまず収容所には守るべき10の規則があります。
「逃走してはならない」等々いろいろあるのですが、
その規則を犯したら無条件銃殺です。
もっとも重大視するのは逃走を企んだら無条件銃殺です。
次に器物破損。牛を殺したり機資材を破損しても銃殺。
それから保衛員や警備隊の指示事項に不満を持つ、これも銃殺です。
いろいろあるのですが、ほとんどが銃殺刑です。

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集団で銃殺される囚人たち(アン・ミョンチョル 描)


アン 銃殺刑が多いし、保衛員の場合、女性の囚人は保衛員の性奴隷です。
もし保衛員が女性を弄んで妊娠した場合、堕胎できるなら堕胎してしまうし、
それが難しいとなると妊娠した女性自身を殺します。

質問者 ひとまず囚人の女性は敵対階級であって、
そうした接触は保衛員も警備隊員も禁じられていますよね。

アン はい。

質問者 外部からの検閲は入るのですか。
収容所内で保衛員や警備隊員がそうした規律違反を犯していないかどうか
検閲はされないのですか。

アン いいえ。
収容所は(秘密)保安が優先なので、中に入れるのは従事者だけです。
いくら検閲官が下ってこようが中には入れません。す
べての責任は収容所の所長と保衛課長によって、
収容所の正規の人員によって取るのですが、
収容所の保衛員と警備隊員にはまた別途の規定があります。
その規則を犯せば処罰を受けるという条項もあります。

なぜそうした現象が生じるのかというと、
収容所の警備隊や保衛員たちも長期間、収容所は山の中にあるので、
民間人を目にすることはほとんどありません。

収容所に配置された当初、囚人たちを見ると人に見えないのです。
ところがそうした人たちばかり何年も何十年も見続けていると、
うんざりしているので玩具にするのです。

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犬をけしかけられる囚人たち(アン・ミョンチョル 描)


アン 政治犯に手を出した、
特に女囚に手を出して妊娠させたら保衛員も服(制服)を脱いで放り出されるのですが、
それ以外は囚人が反抗したということなら自分の処分権があるのです。
働かなかったということなら現場で射殺する処分権があります。
あるいは拘留場といって収容所内にさらに拷問・留置施設があって、
3か月、半年と放り込んで拷問する場所があります。

服従させるようになっていて反抗する人はまずはいないのですが、
私が87年に入隊した当初、その場で射殺された事例がありました。
13号収容所にいた時です。
女性が、命令されたのに悔しいので反抗し、その場で射殺された。
87年9月ごろのことです。

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看守に強姦され、妊娠したために殺される女性の囚人(アン・ミョンチョル 描)



質問者 現場で目撃したのですか。

アン 目撃したのではなく、
その事例が起きてから教育を受けたのです。
保衛員はその場で射殺し、我々警備隊は収容所内で起きた事件、
事故については教育を受けることになっている。
「こういうことがあった」「こういうことはするな」と情報が共有されるのです。
そうしたことが起きた際に対処する方法を学ぶので、
その事例を知ったのです。

質問者 女囚にある指示をしたのに反抗した、
その場で即決処刑した、その事例を教材として学んだと。
そうした場合に警備隊員はどう対処するのですか。

アン 反抗した場合は、我々が受けた教育の中で、
反抗したり逃走したら射殺してよいという項目があるのです。
そうしなければならないのです。
そう教育されました。

アン氏が目撃した、酷い人権侵害の事例とは

質問者 アンさん自身が直接目撃した事例の中で、
これはひどい、あんまりだというものはありますか。

アン 本にも書きましたが、
ハン・ジンドク(韓真徳)という女のことが思い浮かびます。

会寧の22号収容所にいた当時、トンネル掘りに動員されました。
当時、私は豚舎担当で彼女はよく働いていた。
私がギターを弾いて韓国の歌を教えてあげるほどでした。
私の上司が夜その女を強姦しました。
それが引っかかって私の上司は党籍をはく奪され追い出されました。
その女は強姦されたのに、拘留場で3月間拷問を受けました。
暴行、拷問を受けたのですが、取り調べの過程で、
警備隊員に強姦された被害者でしたが、収容所の中ではそれでも拷問を受ける。
その女性は「火拷問」を受けて全身裂傷だらけでした。

その後、仲帽炭鉱というところで炭鉱労働の中でも最もきつい作業に送られた。
数か月後に道で石炭を運ぶ彼女を目撃しました。
「ジンドク、お前、生きていたのか」というと涙を流して「先生、ありがとうございます」というのです。
顔を見ると、首の辺りの傷もまだ癒えていなかった。
「どうしてそうなったのか」と問うても答えなかった。
見ると火拷問の痕で、ここ(胸の辺り)も裂けていた。

しばらくして、1年後だったか、
他のところ、19番というところで
トウモロコシを積みに行くと彼女がいたのですが、両脚がなかった。
石炭を積んだトロッコを押していて事故に遭ったのです。
古タイヤで切断した先を覆って、座ってトウモロコシを挽いていた。
「お前、脚はどこに行った?」と尋ねたら、
泣きながら言うには「事故が起きた」と。
その時は「命はしぶといものだな」と。それが最も痛ましかった。

その女は幼い時に、5歳か6歳の時に捕まって来たのです。
捕まった理由も本人の過ちではなく、
父方の伯父が何か過ちを犯して連座制で入ってきたということでした。
暴行、死刑は数多く見ましたが、私にとっていちばん気の毒だったのはハン・ジンドクです。

「人の命というのは実にしぶといものだ」というのもその女を見て感じたことでした。

質問者 たやすくは死なないものだと?

アン なかなか死なないものだなあと。

質問者 強姦された被害者なのに拷問されるというのはどういうことですか。

アン 看守側と囚人の間でことが起きると、
理由のいかんを越えて、
「お前が強姦される原因を作ったからではないか」ということにされてしまうのです。
保衛部ではそういう扱いになるのです。
それで処罰を受ける。

質問者 「火拷問」と言いましたが、具体的にはどういうことをするのですか。

アン  鉄の火掻き棒を用いるのですが、
収容所内で行われる拷問については本に書きました。
当時は91年か92年の3月か5月でした。
火拷問はわざわざ準備してやることではありません。
監房が地下にあるので寒い。
いつも火を焚いていなければならない、6月ごろまでは。
その火は石炭で焚きますが、灰を掻きだしたりするのに鉄の火掻き棒を使います。
それでもって焼くのです。

(後編につづく)

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