脱北した元強制収容所看守のアン・ミョンチョル(安明哲)氏。
アン氏は自身が見た強制収容所の驚愕の実態をイラストに描き、その悲惨さを訴えています。
アン氏のインタビューは北朝鮮強制収容所・元看守が語る「人権侵害の実態」で紹介した動画の中で一部公開していますが、
今回はインタビュー全文を前編、後編に分けて掲載します。

ann



前編はこちら)

こちらもお読みください

美人すぎる脱北者、パク・ヨンミが壮絶な体験を語る
北朝鮮 強制収容所の実態がインタビューで明らかに!
北朝鮮強制収容所・元看守が語る「人権侵害の実態」

囚人は「悪い人間」だと教育され、疑わなかった

質問者 収容所の警備隊に配属される前までは
「わが社会主義祖国でそんなことが行われている」などとは知りませんでしたよね。

アン まったく知りませんでした。

質問者 初めて配属されて実状を知ったとき、どんな思いでしたか。

アン とても驚きました。
私は北朝鮮ではエリートの家庭に生まれエリート教育を受け大学も卒業し、
その部隊に行きましたが、
金日成の言葉の通り、教育を受けた通り、
「北朝鮮は暮らしよい国」と思っていましたが、
(収容所の警備隊に)入ってみると
南朝鮮の乞食たちを集めたところのように見えたのです。
なぜ人があんなに小さく虚弱でまともに歩ける人も少ないのか、
たいへんな衝撃を受けました。
当時は教育された通りに、「悪い奴らなのだ」
「金日成に反対し、体制を転覆しようとしたスパイなのだ」と教育され、そう思っていた。
「お前たちは死んでも構わない連中なのだ」と思っていました。

質問者 そう思っていたら当然苛酷に扱ったわけですね。

アン そうです。
それが変わったのは、運転兵として働き始めてからです。

初めの3年間は本当に悪い奴らなのだと思っていました。
死んでも当然でそういう扱いをしてよい、
テコンドーの練習台にも使いました。
罪の意識はありませんでした。

114

テコンドーの練習台にされる囚人たち(アン・ミョンチョル 描)


アン 運転兵をやりながら、毎日のように会い、話を聞いてみると、
その人たちは自分がなぜ収容所に入ったのか、その理由すら知らない。
「これはどういうことだ、悪い奴らだと教育を受けたのに、
当の罪人は何の罪を犯したのかさえ知らない。
これは何か間違っているのではないか」その時から疑問を抱き始めました。

推定20万から25万人が収容所に入れられている

質問者 北朝鮮全体でこうした収容所に入っている人数は?

アン 私が1987年に入隊した当時12の収容所がありました。
一つの収容所当たりの人数は面積等で違うのですが、
当時は20万人から25万人と承知していました。

質問者 どのようにそれを知ったのですか。

アン 私たちは11号収容所で一緒に新兵教育を受けました。
それから全国の収容所に分散して勤務したのです。
ですから全国の収容所に同期がいます。
私も13号の収容所に勤務していて、それから他の収容所に転出する可能性があります。
互いに手紙や電話のやり取りをしました。
それでおおよその人数を推算したのです。

質問者 ある収容所に警備兵として勤務しながら、
他の収容所に勤める同期とやり取りができるのですか。

アン できますよ、手紙のやり取りもするし。
内部の連絡網があるのです、別途。

質問者 検閲は受けないのですか。

アン 内部でのやり取りは問題ない、内線が別途あるのです。
収容所の警備兵が使う別の交換を通す電話があります。
勤務していてうんざりしてきたら、
他の部署にかけて「何をやっている?」といたずらもするし。

質問者 各収容所の人数は機密事項ですよね。それを電話でやり取りできるのですか。

アン それはしません。
そうではなくて、私は4つの収容所に勤務して、
最も大きかったのが22号収容所、その次が13号収容所でしたが、
その13号は12号と隣接していました。
面積と家屋の数を見れば、人数はおおよそ出てくるのです。

220

アン氏が勤務していた収容所の全景(アン・ミョンチョル 描)


質問者 では全国に12あるので、掛け算すればおおよそ、ということですか。

アン 1か所当たり3万人だとして、12か所あれば、それだけで何人かということです。

質問者 最近は閉鎖されたもの出たということだし、
韓国の統一研究院では8万人から12万人という推算もしているようですが、
この推算についてはどう思いますか。

アン その数字が正確かどうかは別として私の考えはこうです。
私が入隊した当時は20万人から25万人でしたが、
収容所の統廃合もあり、その中で釈放された人もあり、
収容所内部でもどんどん死んでいく。

私が韓国入りした当時(1994年)はほぼ20万人と見ていました。
そのように韓国の当局に話したし、
当時の報告書で15万人から20万人が収容されているとしていたが、
10数年経って8万人から12万人としたのは、
北朝鮮が苦難の行軍(90年代後半の大量餓死が発生した時期)を経て、
収容所でも同じ状況だった。
一般社会でも3百万人が餓死して、
収容所内でもおおぜいの人が死んだということです。

15

看守の目を盗んで、豚の餌を食べる囚人たち(アン・ミョンチョル 描)


質問者 現在は張成沢一派の粛清の嵐が吹いています。
やはり多くの人が収容所に送られると思いますか。

アン 当然多くの人が行くでしょう。

質問者 どのくらいの人数になると思いますか。

アン 平壌なので14号収容所や15号収容所に多数行くでしょうね。
近い地域の。

質問者 万単位になると思いますか。

アン 少なくとも、万単位ではなくても、
それに近い数が行くのではないかと。

囚人を虐待するのは日常茶飯事

質問者 アンさんご本人も収容者を撃ったり拷問したことはありますか。

アン 私が直接銃で撃ち殺したことはありませんでしたが、
友人にはいました。
大学に進学したくて、
外で農作業している囚人を逃亡者に仕立てて、撃ち殺した友人がいました。

119

多くの囚人に石を投げられながら、公開処刑される囚人(アン・ミョンチョル 描)


アン それはまだ私が若い時で、
拷問というよりもテコンドーを習うのですが、
ある程度習うと「実戦をやってみろ」ということになって殴ったことはあります。
テコンドーで攻撃して殴ったことはあります。

入隊して1年から2年の間は訓練して身に付いてくると使ってみたくなるのです。
自ずとその時期には保衛員たちが(囚人)たちを叩くのです。
私もたくさん殴りました。
またその時期には上官たちも敵愾心を育てるためにやらせるのです。

質問者 本人自らも行き来する収容者を捕まえてやると。

アン わざと難癖をつけて。
「来い」と言われた囚人が一生懸命駆け付けて来ているのに、
「さっさと来ないか」と言って殴りつけたり。
そういうことが頻発するのが入隊してから1年から3年の間です。
盛んに使いたくなる時期によく殴るのです。

囚人が死んでいく日常に慣れていった

質問者 収容所では日常的に人が盛んに死ぬでしょう。

アン いちばん死ぬのは飢え、ひもじさ。
それから病気、凍傷、事故。
一番たくさん死ぬ時期は3月。
3月の雪解けの時が食べ物も最も少ない時期だし、
冬から春になるころに大勢死にます。
冬の凍死ももちろん多いですが。

112

極度の飢餓状態に陥っているため、囚人たちは何でも生き物を食べようとする(アン・ミョンチョル 描)


質問者 当時はまだ北朝鮮の一般社会では
それほど頻繁に人が死ぬという状況ではなかったでしょう?

アン そうですね。

質問者 ところが、収容所に入ると人がどんどん死んでいく。
その様子を見て人の死について考えが変わりましたか。

アン 初めて入ったときは本当に驚いて
心臓がどきどきして震えたし、
初めて公開銃殺を見たときは
目をつぶってしまったしおぞましかった。
ところが、頻繁にみていると慢性化して来て
「ああ、また殺すのか」となってくる。
絞首刑で死刑にするのも、びくっと体が動いて糞を漏らしたら終わってしまう。
次第に私も感情が干からびて行って鈍くなる。
5年ほど過ぎたら公開処刑も
「ああ、やるだろうな」という程度の感覚にしかならない。
最初のころは心臓がどきどきして体が震えたが。

質問者 アンさんはそれでも運転手をやる中で、
自分の受けた教育が間違っているのではないかと
気づくきっかけがありましたよね。
しかし、同僚たちはどうでしたか。
囚人たちに対する考え方の違いは大きかったでしょうか。

アン 私の場合は特殊なケースで、運転手をやったので、
政治犯たちと数多く接し働かせる中で
話を交わして知るようになりましたが、
外郭の鉄柵とか、政治犯を直接扱わない人がほとんどなのです。
その人たちは「本当に悪い奴らだ」と思っている。
話をしたことがないから。

22号収容所も警備隊の運転手は5人しかいない。
保衛部の運転手は10人くらいいましたが、警備隊の運転手は5人だけ。
政治犯に直に接する実力を持ち人は少数で、
その中の一人が私でした。
毎日のように囚人と接していると、
最初は私も働かせていてつまらないので、あれこれ尋ねてわかって来た。

2223


アン 99%の警備兵は「こいつらは悪い奴らなのだ」と教わった通りに思っているし、
だからこそびしっと警備しているのです。
同情心を持ったら自分も処罰されると知っているので同情もできない。

質問者 そのように教育されるのですか。

アン そう教育されます。
初めて入隊してから除隊するまでいちばんたくさん受ける教育は、
あの中に入っている人たちは金日成に反対し北朝鮮を裏切った反逆者で、
逃げようとしたら射殺してよい、
彼らに同情したり彼らの願い事を聞いてやったら
自分だけでなく、自分の家族も処罰されるという教育を皆受けます。
助けてあげたら処罰されるというのに誰が敢えてそうするのかということです。
私もそう思っていたが、変わりました。

脱北しようと思ったきっかけ

質問者 なぜ北朝鮮を離れようと思ったのですか。

アン 父親が党の書記をしていたのですが、
酒に酔って言葉をしくじったのです。
「北朝鮮にコメがないのは上の間違いではないか」と言ってしまい、
その一言で家族も酷い目に合うことになるという自責の念で服毒自殺しました。
父の下にいた人たちも、
私の故郷である洪原郡で米が不足したのは
父が盗んだからだと父のせいにしてしまいました。
死人に口なしですから。
飢え死にしそうな人たちに食料を渡してあげはしたのでしょう、
それを目撃した人たちが、一日にして反動の家になってしまった。
母も収容所送りになった。
それを知って、家か滅んで、私もようやく気付いたのです。
こういうわけで収容所送りになるのかと。
それで脱出を決心しました。

質問者 お父さんは郡の党書記をしていたのですか。

アン 糧政事業所、食糧配給所の責任書記です。

質問者 どちらの?

アン 洪原郡の。

質問者 どちらの道(県)ですか。

アン 咸鏡南道。

質問者 結果的に脱北して正解だったとお考えですよね。
そのまま北朝鮮にいたらどうなっていましたか。

アン 私も収容所送りになっていたでしょう。
収容所の警備兵から、そのまま収容所の囚人として捕まっていたはずです。
私は脱北に成功しましたが、
弟妹たちと母は収容所に送られました。

質問者 彼らはその後どうなったのですか。

アン 直接確認はできませんが、
私が韓国に来てから情報当局に尋ねたら、
母は収容所で亡くなり、
弟も突然家が没落したので精神に異常を来たし、
保衛部に勤務していたのですが、頭がおかしくなって撲殺されたと。
妹一人は生きていると聞きましたが具体的な消息はありません。

質問者 どこでどう暮らしていると?

アン 収容所です。
みな収容所送りでしたから。

質問者 どこの収容所ですか。

アン それも知りません。
私の感じでは、地域の関係で、
15号ヨドク収容所の完全統制区域に行ったのではないかと思います。

韓国に入った脱北者の現状

質問者 多数の脱北者が韓国に入っています。
いま人数はどれほどになりますか。

アン 昨年の12月31日基準で2万6千152人です。

質問者 その中には韓国社会に馴染めずに
また北朝鮮に戻る人もいますよね。
そういう人たちを見てどう思いますか。

アン もちろん脱北者たちは韓国に来るときに
多くの夢と期待を抱いています。
しかし、資本主義社会はたいへんな競争社会で
本人が努力をしないと厳しいところです。
ここで生まれ育った人たちにとっても生きていくのは厳しい、努力をしないと。
何も知らずに来た人たちはもっとたいへんです。

脱北者たちの失業率を見ると、一般の韓国人の3倍です。
犯罪率も高いし自殺率も高い。
それは準備ができていないのに競争社会にぶつかって、
文化の違いなどいろいろ重なるのです。

99965


アン そこで中には「来たのは失敗だった」とまた北朝鮮に戻る人もいるし、
一方で、保衛部が北朝鮮に残る家族を餌にして誘引拉致される人もいる。
韓国で暮らすのは大変だから、
カナダやイギリス、アメリカに再脱北というのか、また外国に出ていく人たちがいます。
これは南北の統一を考える時には治療すべき問題ではないかと思う。

質問者 ご本人も韓国定着にご苦労されたでしょう。どんなところに異質さを感じ、それを克服するためにどのような努力をなさったのでしょうか。

アン いちばん辛かったのは言葉。
定着において障壁となったのは言葉です。
いまは自然な韓国語に近づきましたが、
もとは北朝鮮の言葉なので。
私は就職してから受け付けもやったのですが、
銀行の窓口業務もやったのです。
お客様から「おかしな奴がいるぞ」「どこの人間なのか」という声があって、
職場の社長が職員250人が集まった場で私を立たせ、「言葉を直せ」というのです。

大変なショックで、その時からテレビを見ながらアナウンサーの口振りをまねたり、
鉛筆を噛んだまま発声したりという訓練をして今のようになりました。
言葉の問題が一番辛かったし、
それから、北朝鮮では一言で命取りになり捕まりますが、
こちらの人たちはとても自由に話します。
政治家を罵り大統領を罵る。
その文化的違いに戸惑いました。

詐欺にも遭ったし、いろいろな目に遭いました。
北朝鮮のスパイではないかと当局に申告され派出所に引っ張られたり。
言葉、文化が分からなかったから。

質問者 以前は定着支援金を一度に渡され、
詐欺で巻き上げられる人が大勢いましたよね。
今はどうですか。

アン 今はハナ院(脱北者たちのための韓国定着支援教育施設)で
既存の事例を教えるし、
(定着支援金は)分割でもらうし、
教育も受けるので少なくはなりましたが、
それでも詐欺にやられる人はいます。

質問者 新たに入ってくる人たちはどういうところに苦労しているのですか。

アン まずは寂しさ。
ここには知っている人がいない。友人、家族がいない。
それで、寂しいし、情に飢えている。
だから、韓国の人に親切にされるとはまってしまう。
ところが韓国には悪い人もいますから、
たやすく詐欺に引っかかる。そういうところが残念です。

それに韓国には一攫千金ということはありません。
地道に努力して貯金して暮らしていかなければならないのに、
脱北者たちは手早く稼ぎたいと焦っていますから、
「金になる」と聞くとわっと飛びつく。
ところが資本主義社会においてそれはほとんど詐欺ですよね。
そのようにたやすく詐欺に引っかかり金を失う。
そういうところは残念です。

韓国に入った脱北者の自殺率が高いとおっしゃいましたが
自殺率も高いし犯罪率も高い、韓国人に比べると。
寂しさが大きな要因です。
詐欺で金を巻き上げられたり、
北に残した家族に対する罪の意識、様々な要因で。

質問者 自分が脱北したことで北の家族に累が及んだと。

アン 家族が被害を受けますからね。

脱北者は宗教を求めている

質問者 安さんは何か信仰はお持ちですか。

アン 私は韓国に来て教会にも通いましたし、寺にも通った。
ずいぶん足を運んだのですが、
いちばん穏やかに感じたのは仏教だったように思います。
ですから寺にはよく通っています。
もちろん教会にも行きますが、教会に行くと人が少し…
何というか、私の心には教会よりも仏教の方が安らぐというか、
山の寺で一人祈る方が人の多い所よりも良いように感じるのです。

山の中で一人考えたり祈ったりすると心が楽になりますね。

教会では多くの人が集って共に声を挙げたりするのがちょっと合わないと。
韓国に来た当初は教会にもだいぶ通いました。
それぞれの宗教に特色があり、長短ありますが、私には山が合っているようです。

質問者 韓国に入った脱北者の中で信仰を持つにいたる人は多いですか。

アン 多いですね。
特にモンゴルの砂漠を通じて脱北した人たちに多いようです。

質問者 なぜでしょう。

アン 辛いでしょう。
何日も掛けて砂漠を歩いてやって来たので、
自ずと神を求め宗教を求めるようになるようです。

モンゴルに来た人たちはみな砂漠を通過します。
中国の内モンゴルの砂漠を通過しなければならない。
砂漠を2、3日や1週間歩いていると人は自ずと信仰を得るようになると言うのです。
大学生たちはじめ、韓国に入っている脱北者の3分の1は
何かしら信仰を持っているのではないかと思います。

記事画像フォーマット(横)


質問者 目には見えないけれども大きな力があると。

アン そうです、それを感じたのです。
なぜならいちばん苦しい時に求めるのが信仰ですから。
それを感じたから韓国に入ったのちに、いちばん多いのはキリスト教、
それを訪ねていくのは家の周囲に教会がありふれているから。
でももう少し考える人の中には私のように寺に行く人もいるし。
多様ですね。

私も韓国に来てから教会にはたくさん通いました。
でも何か違うのです。
それで寺に行ったのですが、とても心が楽なのです。
それで寺にはよく通っています。

質問者 教会によく通ったというのは、招かれて講演したということではなくて。

アン 心の痛みがあるのです。
北に残した家族への謝罪もあるし、懐かしさもある。
ですから教会に行って祈るようになった。それで通ったのです。
誰に来いと言われて行ったのではありません。

北朝鮮はどう変わるべきか

質問者 最後に、北朝鮮という国、体制が今後どうなると思うか。
またどうなってほしいか、そのために何をしようと思っているか。

アン  (現代国家の中で)三代目の世襲をやった国は歴史上ありません。
それに金正恩はいちばん若いですよね。
彼はものを知らないのです、若過ぎて。
金日成、金正日も大勢の人を殺しましたが、自分の親戚は殺しませんでした。
しかし金正恩は自分の義理の叔父を殺した。
彼はまともな判断ができずにいると思います。
北朝鮮の人々も三大世襲と主体思想という信仰に嵌っているのです。
嘘の政権によって。あの政権は嘘で固められていますよね。
みな嘘に騙されているので、それを打ち壊さなければならない。

住民たちの意識を変えなければならない。
私たちが国際的に北朝鮮の独裁政権を提訴する、こういう活動を頻りにやることで、
世界の中でも、
「北朝鮮は酷い国」「権蹂躙国家だし苦しい生活をしている国だ」ということを
北朝鮮の人々に伝えてあげなければなりません。
海外で活動することも大事ですが、
ラジオやUSBメモリー、DVDなどで
外の世界の歌やドラマを送って北朝鮮の人々の意識を開いておかなければならない。
それでこそあの体制が崩れて政権がひっくり返り、
自由を手にできる。外で騒ぐだけでは役に立たない。
住民たちの意識を覚醒させないと。

質問者 そのために対北ラジオや風船でビラを送り込んだりいろいろな活動が行われていますね。

アン もっと活発にやらないと。
もちろん効果はそれぞれですが、
そういうことを続けることで
北朝鮮の人たちの意識を目覚めさせることができるのです。
金氏一家によって搾取されているということを
北朝鮮住民自ら悟らならなければなりません。

また、北朝鮮の政権は大勢の人を殺したので、相応の償いをさせなければならない。

こちらもお読みください

【インタビュー全文掲載・前編】北朝鮮強制収容所・元看守が語る「人権侵害の実態」
美人すぎる脱北者、パク・ヨンミが壮絶な体験を語る
北朝鮮 強制収容所の実態がインタビューで明らかに!
北朝鮮強制収容所・元看守が語る「人権侵害の実態」