2年前の10月に公開した、「美人すぎる脱北者、パク・ヨンミが壮絶な体験を語る」記事ですが
サイトの中でも常に人気記事にランクインしています。
しかし、この記事はYouTub番組をもとに作成していたため、
記事内のパク・ヨンミさんのコメントは実際のインタビューのほんの一部にしか過ぎません。

今回は、これまで未公開だったヨンミさんのインタビュー全文を前編後編に分けて公開いたします。

こちらもお読みください

美人すぎる脱北者、パク・ヨンミが壮絶な体験を語る
北朝鮮 強制収容所の実態がインタビューで明らかに!
北朝鮮強制収容所・元看守が語る「人権侵害の実態」

“美人すぎる脱北者”パク・ヨンミさん

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パク・ヨンミさん21歳。(2014年当時)
北朝鮮で生まれ育った彼女は、13歳の時に家族と共に北朝鮮を脱出しました。

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ヨンミ 「北朝鮮では自由に歌ったり、音楽を聞いたり、ダンスをすることさえ禁止されています。
中国政府は脱北者を受け入れないので、脱北して入った中国でもずっと隠れていなくてはいけませんでした。
その時期は人生の中で最も辛かったです。」

(Liberty In North Korea インタビュー映像より)

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ヨンミさん自身も含め、北朝鮮の人々はどのような暮らしをしていたのか
インタビューをするために韓国へ向かいました。

はじめに、カフェで最近のヨンミさんの活動について話を聞きました。

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――仕事は何をしていますか?

ヨンミ ジャーナリストをしています。
大学に通いながら海外へ行ったり、テレビ番組でインタビュアーもしています。

――休日は何をしていますか?

ヨンミ 今は休みが欲しいです。
本当に休みがありません。
自由な時間が本当にないのです。

――彼氏はいるのですか?

ヨンミ いたら嬉しいです。
もうすぐ誕生日なのですが、友達にはプレゼントはいらないから
彼氏が欲しいって言っています。


一見、今時でとても可愛らしいヨンミさんですが
その姿からは想像できないような
ショッキングな話が次々と語られ、
北朝鮮の深刻な人権問題が浮かび上がってきました。

自由と民主主義の大切さ。

日本に暮らす私達にとっては当たり前の“自由”ですが、
かつてのヨンミさんのように自由のない世界に生き、
傷つけられている人々は今現在もまだまだ多くいるという事実を
知っていただきたいと思います。


北朝鮮が発表した人権報告書について

――北朝鮮の人権研究協会が「北朝鮮は世界一優れた人権制度をもっている」という旨の
人権報告書を発表したことについてどう思いますか。(2014年9月時点)

参考:CNNニュース「北朝鮮が人権報告書を発表 「世界一優れた制度」と主張

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ヨンミ あれは冗談です。北朝鮮は世界で最も抑圧された国です。
勿論、自由はなく、(政治)運動も何もできません。
北朝鮮では好きなものは着られません。
そして、もし、私たち家族が北朝鮮に強制送還されていたら、
死刑にされていたか、強制収容所に入れられています。
北朝鮮は世界で最悪の人権侵害国家なのです。
彼らがどうやって拷問するかは想像に耐えません。
北朝鮮の政府がどれ程残酷に国民を扱うのか考えることもできません。
北朝鮮がどうやってその冗談のような声明を発表したのか理解できません。
私はこのようなことを以前言い、(その映像を)衛星放送でも見ることができますが、
彼らが国民を殺し、抑圧していることは明らかです。
そして、彼らは「北朝鮮が世界一だ」と言っていますが、
私にとっては本当に馬鹿馬鹿しいことです。


北朝鮮での過酷な暮らし

――北朝鮮での暮らしについて教えていただけますか。

ヨンミ 北朝鮮にいた幼い頃は、
私の父は党内の人間で、ビジネスマンだったので、
沢山のお金を稼いでいたので、食べ物にも困りませんでした。
しかし、その後、父が収容所に入れられてしまいました。
彼らが言うには違法取引の罪で、17年の刑に処せられました。

北朝鮮にはカースト制度のような階級制度があります。
私の父が「犯罪者」になってから、家族の私も「犯罪者」になりました。
私は罪悪感を感じていて、私の血は汚れていると思いました。
私は父を誇ることができなくなり、父が階級制度によって囚人になったことで
大学へ行くという私の夢も、欲しいものが何でも手に入る人生も絶たれました。
やりたいことがやれる、良い人生は送れなくなりました。
本当に、それは不可能になりました。
幼い時は北朝鮮の人々全員が洗脳されているなんて思ってもみませんでした。

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左からヨンミさんの父、ヨンミさん、姉、母

外国の映画を見ると公開処刑にされる社会

ヨンミ しかし、その後の話ですが、タイタニックやディズニー、韓国や日本の映画などを観ました。
それらは私にとって外の世界を見ることができるので楽しみでした。
それから、外の世界はどんな所なのか思いを馳せていました。

――北朝鮮で外国の映画が観れるなんてとても驚きました。
それは普通なのですか?

ヨンミ 私が幼い時は、公開処刑を見にいくことは当たり前のことでした。
しかし、外国の映画を観ることは当たり前ではありませんでした。
南朝鮮(韓国)や日本やどの国でも「映画を観に行こう」と簡単に言えます。
しかし、北朝鮮では映画を観るために命の危険を侵さなくてはなりません。

私は9歳の時に公開処刑を見ました。
私の親友の母親がジェームズ・ボンドの映画やハリウッド映画を観たために
私の目の前で銃殺されたのです。
私たちにとっては(外国の映画を観ることは》本当に危険なことで、リスクが高いことですが、
映画を観て外の世界を知りたいという欲望を止めることはできません。
たとえ死刑になるとしても、強制収容所に送られたり、罰せられるとしても、
私たちは外国の映画を観て、DVDを通して外の世界の情報を学んでいるのです。



――どうやって映画(DVD)を見ていたことが発覚するのですか?
誰かか密告するのですか?

ヨンミ 映画を観ている時に、警察が家をチェックしにくるのです。
警察は(処刑された)友達の母の友人にDVDをどこで手に入れたのか尋ねて、
その友人は「彼女からもらいました」と言うのです。
それで私の友達の母は殺されました。
そのように誰かに報告されて、彼女は罰せられたのです。



――どれぐらいの頻度で公開処刑が行われるのですか?

ヨンミ 映画を観た罪で時折、罰せられる人もいましたが、
金正恩が政権の座に就くと、
彼は映画を観た罪で一日に80人もの人を銃殺しました。
ただ外国の映画を観ただけで、80人もの人を撃ったのです。
実に厳しいものでした。
罰にも種類がありました。
もし中国の映画を観たら、数年もしくは3年の間、収容所に行かなくてはならなりません。
もし韓国やアメリカの映画を観たら、それは違ったレベルで、
公開処刑から強制収容所送りになりました。
北朝鮮ではこのような理由で罰せられることが普通なのです。


北朝鮮での何もかも禁止される生活

――北朝鮮では歌ったり踊ったりすることは禁止で、服も制限されていると聞きました。
これについて教えてもらえますか?

ヨンミ ソウルで暮らしていて、
だれかに「歌を歌うな」「そんな服を着るな」「そんな靴を履くな」
「そんな髪型にするな」と言われることを想像してください。
もし私が北朝鮮にいたら、こんな服も着られないし、こんな靴も履けません。
全部取り上げられてしまいます。
彼らは社会主義なのです。

もし、いい音楽が聞こえてきて、踊りたくなったとしても、
「ダンスをするな」と言われます。
なぜなら、それは社会主義的ではないからです。
なので、ダンスもできないし、歌も歌えない、読みたい本も読めない、観たい映画も観れない。
本当に全てが政府によってコントロールされています。
そして、彼らは何をやるのか、何を食べるのか、何を歌い、
何を見、何を言い、何を考えるまで命じるのです。
彼らは私達の人生を決めます。
ですから、本当に、住むことを想像できないのです。

ブラック・マーケットの存在

――どうやって映画(DVD)や外の情報を得ていたのですか?

ヨンミ 1990年代以前、“北朝鮮の社会システム”は可動いていて、人々は食べ物の配給を受けることができていました。
しかし、1990年代以降、人々は政府に頼らずに生きていく方法を見つけなくてなりませんでした。
これがブラック・マーケットが始まった理由です。
それは小さな街のようで小さな市場でしたが、人々が集まってきて、
家から品物を持ってきて、売っていました。
貿易のように物の売り買いがされていました。
しかし、市場がどんどん大きくなって、
2002年には北朝鮮政府によって公式に自由化され、ブラック・マーケットではなくなりました。

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北朝鮮のブラック・マーケットの様子



――以前、ヨンミさんのインタビューを見た時に、何枚か写真が載っていました。
ヨンミさんは色々な服を着ていましたが・・・

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左からヨンミさん、姉

ヨンミ あれらの服は私の父と母がたくさん働いて、市場で買ってくれたのです。
なので、政府は何もくれません。
実際、食べ物も服も何も供給しませんでした。
私達が生きていく為に必要なものは自分たちで用意しなくてはいけないのです。



――北朝鮮に住んでいると、どんな制限がありますか?

ヨンミ 私は産まれた時、(北朝鮮では)あなたのような人を見たことはありません。
とても自由でしょう?
あなたはイヤリングをしていて、長い髪で、あなたのような人は一度も見たことがないです。
私の祖母も母も、近所の人もみんな同じように暮らしています。
そして、外の世界には何か違ったものがあると推測する術もなかったのです。
なので、私達にとっては、これが普通のことで、これこそが人生でした。


幼少期にスーパーマリオのゲームで遊んだ

――ヨンミさんが北朝鮮にいた時、「スーパーマリオブラザーズ」などゲームをしていたと聞きました。
それらも市場で売られているのですか?

そうです。
私が若い時、スーパーマリオのゲームをしていました。
確か、8歳か9歳ぐらいの時だったと思います。
私の父が市場で買ってきてくれました。
ブラック・マーケットで買ったものでした。

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北朝鮮では携帯電話を持つのは当たり前?

――以前、別の脱北者の方に話を聞いたことがあるのですが、
北朝鮮でも携帯電話をもつことは普通だと言っていました。
それは本当ですか?

私は2000年に脱北したので‥。
北朝鮮の人々も今は携帯電話を当たり前に使っています。
私が思うに、最近普及したのだと思います。
数は分かりませんが、北朝鮮の多くの人が使っています。
しかし、国際電話は使えません。
インターネットにもアクセスできません。
国内の通話だけです。
多くは平壌か郊外の人々が使っています。
私がいた時はまだ携帯電話を使えませんでした。
人々が携帯を使いだしたのは最近のことです。



――携帯を持っていると罰せられるのですか?

以前は、たとえ携帯電話を持っていたとしても受信しませんでした。
北朝鮮の人々は通話可能な携帯電話も持つことができませんでした。
私や多くの脱北者は北朝鮮の家族と連絡をとっています。
連絡をとる場合は、中国と北朝鮮は近いので、国境近くまで行きます。
彼らは中国の電波を使って、北朝鮮の親族に連絡を取るのです。

北朝鮮の警察は通話を傍受することができ、警察は人々を罰します。
もし、通話が警察にバレたら罰せられます。
北朝鮮の人々にとって電話をかけることは本当に大変なのです。


違法なものを所持していても賄賂を払えば許される

――違法な商品を持っていても、
警察に賄賂を支払えば許されると聞いたことがありますが、本当ですか?

そうです。
ゲーム機や、DVD、携帯電話を持っていても、賄賂を渡せばいいのです。
時に(賄賂を渡せば)罰せらないこともありますが、時には警察の規制が厳しく、
賄賂を渡したとしても、罰を免れないこともあります。
賄賂がきくこともきかないこともありますが、一般的に賄賂は通用します。


「死体を見ることは当たり前だった」

――1990年代に北朝鮮で食糧飢饉が起こったとニュースで見たことがあります。
その時の経験を教えてもらえますか?

そうです、北朝鮮では1990年代に大飢饉が起きました。
勿論、多くの人が死に、その時にどれぐらいの人々が死んだのかわかりません。
当時、私が朝に起きて学校に行くために道を歩くと、
死体がたくさんありました。
川には死体がたくさん浮いていました。

恐ろしいのはそれが当たり前だったことです。
私が北朝鮮で育った時は、死体を見ることは当たり前だったのです。
私が学校へ行く時に、人々が「お腹が減った」「死にそうだ」と言っても、
私には助けることができませんでした。
彼らは死んでいきました。

ある朝、隣の駅に行くと、たくさんの死体があって、運ばれていました。
私はとても幼かったのですが、未だに覚えています。
私はとても水が飲みたくて、辺りが臭くて、そして、10代の男の子が死んでいました。
私は食べ物のために人が死んでいくということが現実に思えなかったのですが、
人々が街道で死んでいくのが現実でした。



――飢饉の時、あなたの家族はどうしていましたか?

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左からヨンミさん、父、母、姉

北朝鮮にいる時、私達は裕福な暮らしをしていました。
しかし、それは数年の間だけでした。
その後、本当に貧しい生活暮らしをしていました。
私は1993年に北朝鮮で生まれましたが、それは政府からの食料配給が止められた年でした。
私の両親がビジネスをしている間は良かったのです。
両親は市場で米を買ってきて、それを食べました。

しかし、後に両親が収容所に入れられてしまってからは、
何でも食べなければいけなくなりました。
私は草を食べたり、花を食べたり、トンボやカエル、虫、何でも食べました。
もちろん、「これは食べられない」なんて言えませんでした。
なぜなら、私はとても飢えていたので、それらを食べなければばらなかったのです。



――ヨンミさんの家族についてもっと詳しく教えていただけますか?

父は党の人間で、以前は党のために働いていました。
その後、平壌でビジネスを始める許可を得て、平壌に行きました。
しかし、父は一人で平壌に行って、鉱物を中国に売っていましたが、
それは北朝鮮では違法なことでした。
最初、父が金や銀などの鉱物を平壌で買って、恵山に送り、
母が中国に売っていたのです。
これが、実際に両親がしていたことです。

(後編へつづく)

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