5月3日、鹿児島県南九州市で知覧特攻基地戦没者慰霊祭が行われました。

かつての特攻基地で執り行われた戦没者慰霊祭

慰霊祭の会場となった知覧特攻平和会館は、かつて特攻基地だった所です。その特攻平和観音堂前で式典が執り行われました。日本全国各地から、元特攻隊の方やご遺族、地元の方などおよそ1,000名が集う、盛大な式典になりました。この慰霊祭を立ち上げたのは、以前ザ・ファクトの記事「元特攻隊員の今は亡き友との約束」で紹介した、出撃直後に終戦を迎えた元特攻隊員の方。ともに命をかけて戦った戦友の方々を弔うため、61年前にこの慰霊祭を町に提案し、発起人となられました。

特攻隊員は当時どんな思いで出撃したのか

知覧特攻基地から出撃した特攻隊員の多くは、17歳から20歳といった若者たちでした。これから人生が始まるという、まさにその時期に特攻隊に志願し、自らの命を捧げた若者たちはどんな思いで出撃したのか。発起人の方は、「ただ、いかにして自分の祖国を守れるか、いかにして親兄弟を守れるか、それだけのことしかなかったんです」と話します。また、実際に特攻で命を落としていった仲間たちへの思いについて、「爆弾を抱いて突っ込めという命令で行くわけですから、本当にそれをやるとなれば、相当な覚悟がいると思うんですよね。『今度会う時は靖国で』と肩をこうたたいてね、そして行った彼らはすばらしいと思うんですよ。崇高な精神でいったと思うんです」と答えました。

若き特攻隊員たちの遺書

二十歳前後の「少年」が、出撃する前に遺した最後の言葉をご紹介します。

特攻隊員・佐藤新兵少尉(享年23)の言葉

日本一のお母さんを持った新兵は、常に幸福でした。

特攻隊員・山下孝之少尉(享年19)の言葉

愈々此の世とお別れです。
お母さん必ず立派に体当たり致します。
お母さんお体大切に。

特攻隊員・枝幹二大尉(享年22)の言葉

あんまり緑が美しい
今日これから死にに行くことすら
忘れてしまいそうだ。

特攻隊員・久野正信中佐(享年29)の言葉

ヨクオカアサンノイイツケヲマモッテ、
オカアサンニシンパイヲカケナイヨウニシナサイ。
ソシテオオキクナッタナレバ、
ジブンノスキナミチニススミ、
リッパナニッポンジンニナルコトデス。

特攻隊員・松澤平一大尉(享年22)の言葉

今斯うして出発して行きますのは
その御恩返しであります。
日本人として 之こそ最上の御恩返しと
信じて居ります。

特攻隊員として散った方の心に報いるために

人間離れしたような尊さを感じさせる遺書の言葉

知覧特攻基地戦没者慰霊祭に参列した幸福実現党の釈量子党首は、これらの遺書に対して、「やはり何とも言えない清らかさというか、ある意味、人間離れしたような尊さを感じずにはいられません」と、感謝の思いをあらわしました。「こうした遺書は何度も本で読ませていただきましたが、今回、慰霊祭に行った後に見ると、もう見方がまったく違ってきました」とのこと。「実際に生の声を聞くと、当時いた方々の気持ちというのが、手に取るように伝わってくるわけです。そうした時にはじめて、特攻隊として散華されたお一人お一人の若者たちと向き合うような気持ちになりますし、また展示物の中にはお母様のお手紙などもいっぱいありました」と、当時の日本人が、本当に国が滅びようとした時に最後にとった特攻に思いをはせ、涙していました。

自虐史観は命をかけた方々に対する冒涜

先日、安倍首相が訪米し、先の戦争に対して「痛切な反省」という言葉を使いました。日本政府は村山談話でも一貫して、「日本の侵略をお詫びする」という歴史観に立っています。こうしたことについて釈党首は、日本は侵略戦争をしたという歴史観をもう終わりにすべきだと指摘。村山談話と河野談話が、戦後生き抜いてこられた遺族の方にどれほどの罪悪感を押しつけてきたのかという点に言及し、この国を護るために命をかけた方々に対する冒涜だと意見を述べました。この2つの談話を白紙撤回し、安倍首相に新しい談話を出していただきたいとの願いを語りました。

安倍首相におかれては、安倍談話において英霊たちの覚悟や心を無にすることのないよう、強く申し上げたいと思います。