民間人を含め、日本側に18万人を超える死者を出した沖縄戦。この戦いでは、学生を中心とする学徒隊が沖縄各地で結成され、女学生は看護要員として、男子学生は鉄血勤皇隊や通信隊として、戦場に赴きました。ひめゆり学徒隊に志願した方にお話を聞きました。以下はそのインタビュー内容です。

戦線に合流できないことが苦しかった

(昭和20年3月、沖縄中部の海岸に上陸した米軍は、沖縄本島を南北に分断したため、本島北部にいて南部の戦線に参加できなくなったことについて)自分たちの同級生でも(南部の戦線に)行ってますから、自分は行けない(合流できない)から、相当心苦しかったです。私は国頭にいたので行けなかったのです。それで、もう自分の心の中ではいつも「自分は国賊だ」「本当にすまないな」という感じがしていました。

「お国のため」という教育が悪かったとは思わない

(ひめゆり隊として組織されて、怖いとか逃げたいとか)そういう気持ちは全然起こらなかったです。とにかく国のために死ぬんだということしか、心の中にはなかったです。友達とも「靖国神社で会おうね」という言葉があったんですよ。(現代では教育の場でも、強制的に言わされたんだと、そういう言われ方をしていますが)あの時点では、やっぱり戦わなければ。これが当たり前の自分たちの運命だと、受け取っていたんじゃないですかね。(女子学生であっても、国を守るためだと思いますよ)教育が悪かったということは、今になって言うことであって、あの時点では悪いとは思いません。

沖縄が犠牲になったという風潮は間違っている

(戦後、とにかく沖縄県民は犠牲者であり、沖縄だけがかわいそうなんだと。そして日本は悪いことをしたんだと、ずっとそういうふうに言われ続けてきたことについては)あんまり賛成しないですね。(当時は)「兵隊さん、兵隊さん」と、みんなが軍に協力していて、(日本軍の兵隊さんに)いじめられたとか、悪いという話は全然ありませんでした。(戦後の報道では、沖縄戦において本土を守るために沖縄は犠牲になった、捨てられたという見方が、新聞やテレビ、政治家にもありますが)偏った人の考えじゃないですか。あの頃は一緒に日本人として戦ったんですから。みんな、真剣に国を守ろうと思って戦っていました。(沖縄の新聞では、沖縄戦で、沖縄はひどい目に遭わされたという報道一色ですが)間違っていますよ、本当に間違ってると思います。

沖縄に生まれてよかったと思っている

みんな一生懸命に国のためにやって、最初は苦しかったけど、今では自分たちが生き残ったのも、使命のために生かされたんだと思ってがんばろうと思っています。(沖縄に生まれた自分の運命を呪いたいという人もいますが、私は沖縄に生まれてよかった、日本に生まれてよかったと思いますよ)だからいつも、自分を生んでくれた先祖にも感謝するし、本当に「沖縄でよかった」という感じがありますね。