大東亜戦争末期、日本本土攻撃を目指して太平洋を次々に侵攻するアメリカ。これを阻止するための戦いが、フィリピン・レイテ沖で行われました。この戦いは「史上最大の海戦」と言われるほど多数の軍艦が投入され、日米両国ともに総力を挙げた戦いとなりました。今回のザ・ファクトでは、この激戦を戦った元海軍の方にお話を聞きました。以下はそのインタビュー内容です。

「史上最大の海戦」での戦いの様子

戦艦「武蔵」が沈んだレイテ作戦に参加しました。「武蔵」は太平洋側を南下し、私どもは南シナ海からレイテに突っ込んで、攻撃をして帰ってきたのです。そして、攻撃し終えて帰る時に、アメリカの雷撃機がちょうど私どもの機械室の上に突っ込んできて、大火災が発生したんです。前が見えず、防毒マスクをつけても息ができません。みんな気を失って倒れていました。目が覚めた時、涼しい場所に寝かされていました。その時には32名の戦友が戦死しました。そして夕方、その戦友たちを水葬しました。南シナ海の太陽が海に沈んでいくなんとも言えない、黄金色に、波も空もキラキラしている所にです。本当にその時だけは涙が止まりませんでした。

重巡洋艦「足柄」インド洋沖での最期

(私が乗組員をしていた重巡洋艦「足柄」はインド洋沖で最期のときを迎えました)。海軍が陸軍の兵員を輸送していた時に、魚雷を4発受け、瞬く間に船が傾いて、水が機械室に入ってきました。これは止めようがなく、どうしようもなかったです。機械室は膝の高さまで水に浸かってしまって、「これはもう駄目だ」「左舷へ上がれ」と。しかしながら、発電所が全部やられて、船の中は真っ暗です。船が傾いた時、4つの機械室の分隊長(小隊長にあたる人)が、上甲板に上がる階段の踊り場まで上がったものの、「他の機械室がどうなっているか、ちょっと呼んでくるから」と言うので、皆が「もう間に合わないです。小隊長、間に合わないので上がりましょう」と言ったけれど、「俺は4つの機械室の責任者だから、お前たちは早く上がれ、早く上がれ」と闇に消えて行かれて、もうそのままでした。上甲板にようやくたどり着いて、本当にもう船が沈む寸前だったんです。気がついた時は、船は沈んでいました。

歴史を動かした大東亜戦争をふりかえる

ベトナムは仏領インドシナと言われていました。カンボジア、ラオス、シンガポール、マレーシア、インドネシアは植民地だったのです。インドは英国の植民地。エジプト、シリア、イラン、といった所は全部植民地だったんですよ。それが大東亜共栄圏という名目の下に起きたのが太平洋戦争だったんです。その後、全部独立してしまったんです。世界的に見た場合、植民地は全部独立国になってしまった。その意味合いからすれば、先の大戦で「歴史が動いた」としか言いようがないと、私は思います。それは非常に大きな大きな歴史を100年後、200年後まで評価すべき、国際的な問題ではないかと思います。大きな目で見た場合は、私たちは犠牲になりましたけど、大きな土産を残した戦争だったと、私は誇りに思っています。