「安倍談話」に対する国民の評価は――

終戦の日に靖国参拝していた方々より

70回目の終戦の日となる2015年8月15日、靖国神社で参拝者に「安倍談話」について感想を聞きました。

「非常によかったと思いますよ」
「『子供や孫に永遠に謝罪させるわけにはいかない』というのはよく言ってくれたと思います」
「われわれ日本人がこれからどう生きるのかということが一番大事だと思うので、そういった未来の部分もたくさん入れていただいた、とてもいい談話だったと私は思います」
「国際社会でのタテマエというのがあると思うので、そういったものとのバランスを考えながら色々考えて出された談話だなという風に感じました」
「当たり障りなく、うまくまとめたなと思う」

「まあ、あれでいいとは思いませんけどね。今の時期だったらあれぐらいかしらね」
「正直言って残念だね。だけど現時点ではあれで致し方ないんじゃないかな」
「もっとハッキリして欲しかったね。(大東亜戦争の)あのとき、どういう状況だったかも踏まえて考えて。日本は侵略国家だったと思っていない」
「あんな『侵略』だの『おわび』だの、やってほしくなかったですね」

幸福実現党の釈党首より

ザ・ファクト取材班は、同日靖国神社を参拝していた幸福実現党の釈量子党首にも話を聞きました。

「残念ですね。まさに戦後70年の自虐史観の集大成と言えるもので、英霊への冒涜に他ならないと思います。結局、村山談話を踏襲するのであれば、出さない方がよかったと思います。そして、私たち幸福実現党としては 安倍談話の撤回を求めます」

「村山談話」を否定してこそ意義がある

今回、安倍談話について様々な感想がありましたが、結論として言えることは「安倍談話は支離滅裂な談話であり、出すべきではなかった」ということです。そもそも、談話というものは、節目節目に出さなければならないという決まりがあるわけではありません。「村山談話」を否定するからこそ意義があり、そうでないなら出す意味がないわけです。

「安倍談話」3つのポイント

ザ・ファクトでは、「安倍談話」の内容について、3点指摘しておきたいと思います。

ポイント(1) 「安倍談話」は自虐史観の駄目押し

まず、第1点目。安倍首相は、この談話の中で、いわゆる4点セット「植民地支配」「侵略」「お詫び」「反省」の言葉を、一般論にしたり、主語をぼかしたりして、マスコミの批判をかわそうとしました。そうした努力は見えますが、談話とその後の質疑応答の中で、はっきりと「村山談話」を踏襲すること、そして「お詫び」「侵略」などの言葉を、結果的に明言してしまいました。これは、自虐史観の上塗りをやってしまったということになります。安倍首相は談話の中で「次の時代に謝罪を宿命づけてはならない」と言ったにもかかわらず、次の世代にも謝罪を宿命づけてしまったと言えます。

ポイント(2) 日本は「国際社会の新秩序」でなく「植民地支配という無秩序」に挑んだ

2点目として、歴史認識の問題が挙げられます。安倍談話の中で、「日本は進路を誤って戦争に至った。そして当日の国際社会の秩序に挑戦した」という認識が出てきました。しかし、当時の国際社会は、白人の列強が有色人種の国を自由気ままに勝手に切り取って植民地にしていたのであり、日本は有色人種の国として、単独でその「国際社会の無秩序」に挑戦したのです。「安倍談話」には、こうした日本の植民地解放という聖なる使命がばっさりと削り取られてしまいました。このことは将来に大きな禍根を残すと思います。

ポイント(3) 安保法案の根幹を揺るがす表現が談話内に登場

そして3点目は、現在、議論されている安保法案への影響です。談話中の「武力の行使は用いてはならない」は安保法案の根幹を揺るがす表現です。さらに「武力の行使は、これを紛争解決の手段としては、もう二度としてはならない」と強調されました。これ自体が、外交カードを自ら一つ減らすことを意味します。もし武力行使をしてはならない、外交力・政治力でやるだけだと言うならば、集団的自衛権の行使を可能にしようとしている安保法案の議論・審議そのものが無意味になります。安倍談話は、このような矛盾というものをはらんでいるのです。

安倍談話の早期撤回を

先の戦争は、日本の自衛のため、アジアの植民地解放のための聖戦でした。自虐史観を一掃し、日本の誇りを取り戻すことの大切さを改めてかみしめることが、今の日本人に必要です。そして靖国神社に祀られている英霊の方々のためにも、安倍談話がまだ定着しないうちに、早期撤回せねばなりません。