結党から100年を迎えた中国共産党ですが、その歴史は“共産主義思想実現”の名のもとに、多くの人々が殺戮され、虐げられてきた黒歴史でもあります。毛沢東の人物像に迫りながら、大躍進政策・文化大革命までを徹底検証するべく、元産経新聞記者で中国専門家の相馬勝氏にインタビューを行いました。

00:00 オープニング
01:15 中国共産党結成時の毛沢東の人物像とは
04:40 毛沢東は権力の座にどのようにして上り詰めたのか
07:14 抗日戦争で中国共産党軍はどのような戦いをしたのか
10:06  共産主義思想によって民族統一を目指した共産党
12:20  大躍進政策で犯した毛沢東の失政とは?
13:49  毛沢東の権力闘争としての文化大革命
20:20  国民は“道具”に過ぎない全体主義の危険性

【ゲスト:相馬勝氏】

相馬さんプロフィール

相馬勝氏Business Journal連載「相馬勝の国際情勢インテリジェンス」

中国共産党結成時には“発言すらしなかった”毛沢東

里村英一幸福実現党政調会長(以下、里村:)
今年の7月結成100年を迎えた中国共産党。中国国内で華々しい行事がいろいろ行われました。習近平国家主席も中国共産党の100年を非常に栄光に満ちたかのように演説したシーンが印象的でしたけれども、果たしてその100年の真実の姿とは何なのか?今日は中国問題の第一人者である相馬勝さんにお話を伺います。

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100年というとまず出てくるのは毛沢東です。私も子供の頃は毛沢東が偉い人だという印象が強かった。そして、上海の中国共産党が結成された記念館があって私も何回か行きましたけれども、真ん中に中心人物として毛沢東の蝋人形は立ってて、そして、未だに天安門広場に毛沢東の肖像があると。非常に日本人の方も多くの方が知っています。この毛沢東って人物について、果たして本当に偉人なのかこのへんについてお聞かせください。

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相馬氏:
1921年に中国共産党が上海のそこのところで第1回の党大会を開いたんですね。その時に確かに毛沢東は13人の中国人メンバーの中で一応参加をしてるんですけど、ただ末席なんですね。基本的にはその共産主義について、かなりこの権威の方がいらっしゃって、毛沢東自身は当時北京大学の図書館の司書補という極めて低い立場で、ほとんど発言もなく、学もないし、勉強もしてないものですから、黙ってあの偉い人たちの話を聞いているというような感じだったんですね。一言も発言してないので、毛沢東自身が当時の共産党メンバーとして党を盛り上げたということはありません。

里村:
お金もソ連共産党が出していましたよね。

相馬:
ソ連共産党が世界に共産主義を広めるという世界共産主義運動、コミンテルンという組織が、要するに中国は大きな国だから助けてあげようということで、3人ぐらいのソ連人、ソ連共産党の人間を派遣して第1回党大会が行われたんですよね。そういう点では中国共産党というのは、今のような第一党として中国を支配するということで結成してたわけじゃないんですよね。そういう点では、極めて学問的な部分の共産主義世界をなんとか実現したいということで、その第一歩として学術サロンという感じですかね。ある意味で悪い言い方をすると、秘密結社的な部分ですよね。そういうのが当時の最初の姿ですね。誰も共産主義なんて知らないわけですから。

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毛沢東は軍事力で権力の座に上り詰めていった

里村:
しかし、その中から末席にいた毛沢東がその中国共産党ナンバーワンになっていった。それは一体なぜなんですか?例えば人望があってみんなから押されたとか、それとも政敵をどんどん失くしたとか?

相馬氏:
そういうことではなくて、共産党は国民党の孫文と非常に仲良くて、国共合作というのをやったわけですね。国共合作の中で周恩来とか共産党メンバーも、軍の指導者として理論的な部分として「国民党と一緒に軍閥を叩きましょう」「中国をまとめましょう」ということでした。ところがそれが1924年ぐらいに失敗したわけですね。

国共合作:敵対関係あった中国共産党と国民党が2度に亘り結んだ協力関係。第一次国共合作(1924-1927)は軍閥打倒のため、第二次国共合作(1937-1945)は抗日戦争遂行のために結んでいる。

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そして、当時の初代総書記の陳独秀は国共合作を失敗したということでコミンテルンから解任されちゃうんですね。彼自身はもう41年くらいに病死ます。他の偉い人たちも国共合作が失敗したことによって、自分の理論的立場を失って失脚してしまうというのがほとんどなんですね。李大釗さんとかは軍閥の張作霖に殺されて、悲惨な目にあってるんですね。結局、最終的にこのがこの国共合作が失敗したことによって国民党の蒋介石と戦いになります。その中でどんどん負けていって、いろんな創立メンバーがどんどん落ちていったんです。

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結局、毛沢東は軍事路線で戦わなきゃいけないんだということになって、そこで毛沢東が起こしたのが紅軍、赤い軍ですよね。あの人民解放軍の元になる軍を自分が作ったんですよね。それで武力闘争の方に舵を取ったんです。それによって「国民党とまともに戦えるのは毛沢東しかない、毛沢東と軍の指導者がなければ生きていけない」ということになって、毛沢東が権力を握るということになるわけですね。

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里村:
なるほど。

相馬氏:
「政権は銃口から生まれる」という毛沢東の有名な言葉がありますけど、まさにそれを体現したのは毛沢東。軍事力によって力を把握していったということです。

国民党軍を疲弊させる狙いがあった共産党との第二次国共合作

里村:
その軍事力を持った毛沢東、中国共産党の方が、例えば今中国においては「抗日戦争で日本に対抗して、そして共産党は頑張って中国を守ったんだ」というのが中国共産党の大義にもなってるんですけど、これについても本当に事実なのかどうかというところと、真正面から日本と戦ってきたのか?これについてはいかがでしょうか。

相馬氏:
そこはそうじゃないと思いますよ。第二次国共合作があって、蒋介石が張作霖の息子の張学良に拿捕されて軟禁されたわけですね。それによって周恩来あたりが動いて、張学良説得して、蒋介石を解放したと。それによって第二次国共合作が生まれるわけですね。そこで国民党と一緒に共産党も「日本の軍事勢力と戦って中国を統一しましょうと、とにかく日本はとにかく追い出しましょう」と。ただ、全面的に戦ってるのは国民党ばかりで、共産党は後ろにいて国民党が軍事的に疲弊するのを待っていたと。それで共産党は軍事的な部分の力を蓄えていって、最終的に日本軍が敗れたときに、武器とか銃とか、ソ連側が鹵獲したやつも共産党側に全部あげちゃうわけですね。それによって中国共産党軍の力はかなり大きくなっています。日本軍の武器で闘っていたんです。

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里村:
時々日本によって中国共産党は逆に言うと強くしてもらったんだと。だから、田中角栄総理が中国訪問して日中国交正常化の時も、中国からは「日本の皆さんのおかげですよ」みたいな言葉が出たというのは、都市伝説的な話で残ってるんだけど、やっぱり事実としてその通りだからなんですよね。

相馬氏:
要するに、「国民党をとにかく疲弊させて、蒋介石をとにかく追い出す」ということがまず中国共産党・毛沢東の戦略だったんですよね。

里村:
なるほど。ある意味で今の日本もつながるんですけど、みすみす中国共産党助ける形で動いてしまうところがそもそもあったということですね。

民族統一を建前に“周辺国を侵略していった”中国共産党

里村:
それで中国共産党が力つけていって、そして国民党に勝って、国民党は結局台湾に蒋介石が逃れていって、そして1949年建国ということになりました。ほぼ同時にチベットとかウイグル、南モンゴルに対してどんどん侵略を始めてますよね。これはもう共産党がもともと持っている考え方だったんですかね。

相馬氏:
中国共産党の考え方として「54の民族を統一する、中国を統一する」というのが彼らの考え方ですから。それによってユートピアを作りたいというのがひとつの考え方でもありますから。

里村:
人民解放軍の「解放」。「人民を解放して幸せにしてあげる。そのお手伝いなんだ」という建前のもとに、どんどん他国に入っていった。それがもういきなりも建国と同時に始まってるというのが、共産主義としての大義のようなものがあったということなんですね。

相馬氏:
当時は新彊とか内モンゴルは国民党が支配してましたから。それによって国民党を追い出したと。チベットの場合は独立してたわけですよね。ダライ・ラマが統治者として、宗教的な部分と同じように政治的にも力を持っていたわけですね。農奴が虐げられていて、その農奴を救い出さないといけないということで、いろいろ交渉していって、1956年ぐらいにダライ・ラマは追い出されて亡命せざるを得なくなったというのが本当のところですよね。

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大躍進政策で犯した毛沢東の失政とは?

里村:
そうやってみると最初から「政権は銃口によって生まれる」という毛沢東の言葉通りに、全部銃によって、あるいは武力によって拡張もして国も固めてきた。その中国共産党にとって次の大事件としては、大躍進政策という人民公社を作って農業生産を集団化することによって大変な餓死者が出ました。これについて毛沢東は自分の失敗を認めてるんでしょうかね?

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相馬氏:
一応、認めたんですね、大躍進のときに廬山会議で。大躍進というのは鉄鋼生産で、イギリスに追いつくんだというところで「鉄を皆さんたくさん作って中国の国力経済を高めましょう」ということで、農民も全部動員されちゃったもんですから生産が出来なくなっちゃうんですね。生産ができないから農産物がない、食べるものがないから種の実とかも全部食べちゃうと、それでも毛沢東のために「毛沢東主席の言葉に従って生産力を高めましょう」ということで“土坑の鉱炉”ですよね。

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毛沢東の権力闘争だった「文化大革命」

資本主義経済導入によって経済立て直しに動いた鄧小平ら

里村:
問題はそこで一応自分の誤りも認めた毛沢東がまた復活してくると。その復活の過程で「文化大革命」ですね。

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相馬氏:
その文化大革命で奪権闘争ということで権力を取り戻すんだということですね。鄧小平とか劉少奇とか彭徳懐が権力とって何をやったかというと、経済を立て直すために資本主義的な自由経済を取り入れたんですね。それに対して、毛沢東は「当初の共産主義とは違うじゃないか。あいつらがやってるのは自由主義で資本主義じゃないか。あいつらを倒さないといけない。第二の司令部を作らないといけない」ということを人民日報の一面に書いて、それから文化大革命が始まっていたというところですよね。

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里村:
これは当時の日本人も何か良いことであるかのように映っていました。その「文化」って名前がついているのがまた曲者で。その時、毛沢東は失敗を認めて引退に近い形だったんですか?

相馬氏:
自分の田舎に引っ込んだりして、ぶらぶらしてたわけですね。全国を回ったりして、全く政治の前面には立ってなかったんですね。そして、その経済を立て直そうとしたのが、鄧小平なり劉少奇です。鄧小平は経済的な考え方を持ってますから、この餓死しそうな状況を救わなければいけいない。経済を高めなければいけないということで、自留地とかで農民にある一定の生産の土地を与えて、ここで取れたものの1割ぐらいは農民が自分で消費するというような政策をとっていったわけですね。

里村:
私有財産制みたいな形ですよね。

相馬氏:
ところが、毛沢東が起こした人民公社とはまったく相反していて、それで「何やってるんだ」ってことだったんですね。「文化」というのは、最初は文化面で革命を起こそうということだったんですね。要するに、京劇とか革命劇とか文化面を改革をしなきゃいけないということで、そこを手がかりにして政治的な部分とか経済の部分とかを攻めていったわけですよ。

毛沢東の権力欲のために全国民が巻き込まれた文化大革命

里村:
すごいですよね。もう本当にその演劇であったり小説とかより、文化面でのプロレタリアートの勝利をつかむんだという運動をものの見事に政治運動に変えていきました。そこでターゲットにされたのが要するに地主であったりしたんですか?

相馬氏:
地主はその前の革命の時に150万や200万くらい犠牲になってるわけですよね。そういう出身の人が残ってますから、そういう人たちをやり玉に挙げるとか、あとは権力者ですよね。彭徳懐とか劉少奇、鄧小平あたりをやり玉にあげるとか。大躍進の前に「百花斉放百家争鳴」があって、自由に自分の言いたいことや政府の反対意見を言っていました。「自由に言っていいよ」って言ってて、知識人やインテリジェンスが騒ぎ出すと「お前らは反革命、右派分子だ」ということでぱっと毛沢東の方針が変わって牢獄に入れられているわけですよね。それで反右派闘争というのをやってるわけですよ。それで、その人たちがだんだん許されていって。ところが、文化大革命になると「お前はあの時にこう言っただろう。ああ言っただろう」ということで、学生たちが紅衛兵として取り締まるんですね。軍は鄧小平とか劉少奇が押さえているので、毛沢東は自分の手勢はないんですね。その点でいくとで毛沢東が頼りになるのは学生さんだけだったということです。

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里村:
それを紅衛兵として組織して、手勢として使って、そしてどんどん敵対勢力を潰していたということですね。日本にいるとその規模がとにかく大きいですよね。そういう奪権闘争が全国民を巻き込んで、そして大変な数の犠牲者がでた。日本人からするとちょっと信じられないような規模で、自分の権力欲のためにこの全国民の運命を巻き込むというのは、言い方ちょっと悪いけどスケール大きいというか、ちょっと日本人からすると考えられないですね。

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相馬氏:
特に知識人とか中国にいる6~7億の人たちを巻き込んでいった。それは中国の共産主義的な考え方であって、なおかつ毛沢東の権力欲の強さというのですね。我意我欲というか、「自分が良ければいい。自分が権力を握るためにはすべてを正当化して、それで国民を殺してもいいんだ。革命のためには正しいんだ」という考え方ですよね。

相馬氏が出演している文化大革命の関連動画(2019年)

世界を脅かす毛沢東の「呪縛」~中国で進行する第二の文化大革命【ザ・ファクト】

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国民は“道具”に過ぎない全体主義の危険性

里村:
私はそこはすごく大事なところだと思います。全体主義の危険性とかそういうものはハンナ・アーレントなどの政治思想家がいろいろと書いて、その危険性を訴えています。ヒトラーも近いんですけど、全体主義的なものと独裁性がセットになってその独裁者が権力欲が強い場合、その全体主義において各人は道具・手段でしかないので「恐ろしいことが起きる」ということを、私は20世紀のナチス以降の毛沢東による一連の革命は現代史において忘れてはならないんじゃないかと思います。

相馬氏:
そうですね、スターリンもですね。

里村:
スターリンもそうですね。みんなナチスが終わったあとのことですけどね。第二次世界大戦後の歴史において大変な教訓を残しているんじゃないかと思います。

相馬氏:
そうですね。共産主義体制・共産主義思想というのはユートピアを創るには犠牲は構わないんだと。人道主義とかそういうのは全然通用しません。

里村:
そういうことですね。

相馬勝氏出演シリーズ

欧米の「中国包囲網」に激昂する中国~習近平独裁政権・最新事情(ゲスト:相馬勝氏)【ザ・ファクト】

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中国経済の悪化と習近平独裁(ゲスト:相馬勝氏)〜シリーズ「中国は今」①【ザ・ファクト】

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【ニュース】中国最新事情 米中貿易戦争で習近平独裁体制はどうなる!?〔ゲスト:相馬勝氏〕【ザ・ファクト2018.08.03】

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共産党大会後の中国内部で今、何が起きているのか!?【ザ・ファクト×相馬勝氏対談】

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『水の革命』音楽配信サイトで配信中!〔作詞・作曲:大川隆法〕

中国14億の自由なき人びとに、真実と幸福を。

Power to the people!中国共産党の圧政に苦しむ多くの人びとのために。
習近平の野望からアジアの平和を護るために。
中国の女神・洞庭湖娘娘が立ち上がった――。
神の愛、正義、聖なる怒りが魂を揺さぶる旋律として、ここに結晶。

『水の革命』
作詞・作曲:大川隆法
歌:恍多
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「水の革命」〈作詞・作曲:大川隆法 歌:恍多-kouta-〉12.17 CD RELEASE!

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「中国の十四億もの人たちを、不幸の真っ只中に、置き続けることはできない。」
4千万人超が被災したといわれる中国の大規模な水害は、
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聖なる怒りで立ち上がった女神から、アジアに平和をもたらすべく戦う人々へ、
正義と勇気のメッセージが込められた力強い楽曲。

『水の革命』
作詞・作曲:大川隆法
〔The Water Revolution〕
歌:恍多-kouta-
〔水的革命〕
歌:梅蘭朵-Merade-
中国語翻訳:幸福の科学

◆ダウンロード・サブスク配信中!
https://linkco.re/8mUE3adx

◆収録内容
1.The Water Revolution
2.水的革命(The Water Revolution[Chinese Ver.])
3.The Water Revolution(Instrumental)
4.水的革命(The Water Revolution[Chinese Ver.])(Instrumental)

◆定価 1,320円(税込)

◆発売・販売
幸福の科学出版株式会社