なぜ、「慰安婦問題」が問題なのかというと、
大きな誤解が世界に広まっているからだ。
今回は、以前配信したザ・ファクトの番組から、
「世界が今、どのように『慰安婦』を受け止めているか」を
「当時の慰安婦の実態」と比較してお伝えする。

アングレーム国際漫画祭 慰安婦 アニメ

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全米の慰安婦碑には何が書かれているか

まず、ご覧いただきたいのは、2012年6月、ニューヨーク州
アイゼンハワーパークに設置された慰安婦碑に刻まれた文章です。

ニューヨーク州 アイゼンハワーパーク 公園 慰安婦碑

ニューヨーク州 アイゼンハワーパーク 公園 慰安婦碑

ニューヨーク州 アイゼンハワーパーク 公園 慰安婦碑

画面のテロップでも示しているように、この碑に刻まれている文章は、
2007年に採択された「従軍慰安婦の問題について日本政府に公式に謝罪を求める
「ニューヨーク市議会下院決議文」です。

「慰安婦制度とは、日本政府による強制的な戦時売春であり、
その残忍性と規模の大きさにおいて、過去に前例がない」
「集団強姦、強制堕胎、性的恥辱、また、手足の切断、死亡、
自殺に至る性的暴行などが行われた20世紀最大の人身売買の一つである」

もう一つ、ご覧いただきたいのは、
2014年2月にフランスで開催された「アングレーム国際漫画祭」。
この会場で流されていた「慰安婦アニメ」です。


※この動画はザ・ファクトで2014年2月にYoutubeで配信していたものです。
Youtube動画は韓国からのクレームにより、強制削除されてしまいました。
以下に紹介するアニメだけでなく、アングレーム国際漫画祭での「慰安婦展示」を取材しています。
削除されていないニコニコ動画でお楽しみください。

アングレーム国際漫画祭で上映された「慰安婦アニメ」

アングレーム国際漫画祭 慰安婦 アニメ

慰安所に強制的に連行され、「性奴隷」として収容されている少女のもとに…

アングレーム国際漫画祭 慰安婦 アニメ

日本兵が来る

アングレーム国際漫画祭 慰安婦 アニメ

アングレーム国際漫画祭 慰安婦 アニメ

アングレーム国際漫画祭 慰安婦 アニメ

アングレーム国際漫画祭 慰安婦 アニメ

アングレーム国際漫画祭 慰安婦 アニメ

絶望した少女は自殺を図ろうとするが…

アングレーム国際漫画祭 慰安婦 アニメ

失敗して生き残る

アングレーム国際漫画祭 慰安婦 アニメ

アングレーム国際漫画祭 慰安婦 アニメ

さらに逃走しないように、アヘン?を注射するシーンも。

anime20

やがて、用済みとなった少女は「ガス室」を思わせる施設内で銃殺され…

anime15

その死体が運ばれていく――。

このアニメに描かれる「慰安所」は「ユダヤ人強制収容所」のイメージと
重ね合わせられています。
強制的に拉致され、一切の自由を奪われ、強制的に「性奴隷」として
日本兵に奉仕させられ、
注射によってアヘン中毒にさせられ、主体性を奪われる。
用済みとなった後は、銃殺される――。
うーん、とうなってしまいたくなる内容です。

今回ご紹介したこの「慰安婦アニメ」とアイゼンハワーパークの慰安婦碑に刻まれた文章。
これら二つが、いま、世界中で「慰安婦問題」として認識されている内容です。
確かに、もし、これが実際に日本軍が行っていたことならば、
日本政府は公式に謝罪すべきでしょう。
しかし、こうした印象操作は、事実に基づいたものではありません。

『慰安所管理人の日記』に見る「慰安婦の実態」

では、実際はどうだったのでしょうか?

慰安所管理人の日記

先日の記事「『日本軍慰安所管理人の日記』から読み解く慰安婦の姿」から再掲載いたします。

12月31日
慰安婦19人が皆同じところに集まって、楽しく新年を祝賀した。

大晦日に楽しく新年を祝賀していたようです。

6月9日
今月からは女子は煙草配給がないが、倶楽部の稼業婦に対しては接待用として特別に毎日10本の配給がある。

6月17日
稼業婦の特配米を受け取ってきた

奴隷なのに一般女性よりも待遇がよかったようです。
では一般女性は奴隷以下!?

8月31日
今年4月初めに帰郷した共栄倶楽部の稼業婦、尹○重から無事帰還したという葉書が届いた。

9月9日
村山氏宅で3,4ヶ月も一緒に泊まっていたせいか、私が朝鮮から連れてきていた○子が惜別の涙を流す姿を見ると、胸が痛くなる離別だ。

奴隷が故郷に帰るときに惜別の涙を流したり、
わざわざ無事故郷に帰還したという手紙を送るでしょうか?

3月10日
55師団から金川氏の慰安所をマンダレー近くのイエウという所に移転しろという命令があり、今日、某所の部隊長が来て、行こうと言っていたが、慰安婦一同は絶対反対で、行けないとのこと。

部隊長に「絶対反対で行けない」と逆らうことが普通に許されていたようです。

8月13日
鉄道部隊で映画の上映があって慰安婦たちが見てきた。

これは、休日の出来事のようですが、
慰安婦たちは映画を見ることもできたようです。

8月4日
「営業ができずごろごろしていて、慰安婦たちも退屈でたまらず」

「・・・(絶句)」

日本人と結婚する慰安婦もいた

10月25日
宮本敬太郎と、慰安所の前慰安婦だった現仲居が今般結婚した

当時は朝鮮も日本だったので、
宮本敬太郎氏の出身地まではわかりませんが、
慰安婦が日本人と結婚したという証言は
以前、THE FACTでもインタビューを収録しています。

シンガポールの慰安所では、廃業し帰郷する慰安婦が続出

3月3日
慰安婦の順子とお染の二人が廃業した

4月13日
眞弓の内地帰還に関する異動届を提出してきた

7月9日
金本○愛と、妹の○愛が廃業のため帰郷する

11月5日
仲居の絹代に対する解雇同意書と、稼業婦の秀美の廃業同意書を交付してもらった。

ずいぶんとのどかな日常の描写が続きます。
そして、もう一つご紹介させてください。

米軍ミートキーナ報告書に見る「慰安婦の実態」

ミートキーナ01

これは、「テキサス親父」こと、トニー・マラーノ氏が紹介して有名になった
“Report No. 49: Japanese Prisoners of WarInterrogation on Prostitution”
という米軍情報部心理作戦班が作成した公文書です。
彼らは戦時中1944年10月にビルマのミートキーナで捕虜とした20名の韓国人慰安婦と
2名の日本人民間人を尋問して得た情報を基にこの文書を作成しました。

このレポートの目的は以下のものでした。

The report shows how the Japanese recruited these Korean “comfort girls”, the conditions under which they lived and worked, their relations with and reaction to the Japanese soldier, and their understanding of the military situation.
(この報告書は日本人がどのように韓国人「慰安婦」を募集したか、彼女達の置かれた生活や労働の条件、日本兵との関係や対応、そして彼女たちが軍事的状況を理解していたかを報告している)

つまり、当時の「慰安婦の実態」を報告したものです。
まず、結論として一言で「慰安婦」を定義づけています。

A “comfort girl” is nothing more than a prostitute or “professional camp follower” attached to the Japanese Army for the benefit of the soldiers.
(「慰安婦」とは、売春婦、もしくは兵士のために日本軍についてくる「プロのキャンプフォロワー」以外の何物でもない)

最近も「慰安婦は売春婦」と発言した方がいましたが、
結論は当時の米軍情報部心理作戦班の人間と同じだったということです。

In Myitkyina the girls were usually quartered in a large two story house (usually a school building) with a separate room for each girl. There each girl lived, slept, and transacted business.
(通常、ミートキーナでは女性たちは大きな2階建(通常は校舎)にいた。そこには彼女たちそれぞれに個室が与えられていた。そこで、女性たちは生活し、眠り、そして仕事をした)

「慰安婦」それぞれに個室が与えられていた、ということです。

In Myitkina their food was prepared by and purchased from the “house master” as they received no regular ration from the Japanese Army. They lived in near-luxury in Burma in comparison to other places. This was especially true of their second year in Burma.
(ミートキーナでは、日本軍からの通常の配給を受取らなかったため、彼女たちの食料は”舎監”が用意した物で、彼女たちは”舎監”から食料を購入した。彼女たちは、ビルマの他の場所と比較すると、”贅沢”と言ってもいい生活した。この事は、ビルマでの彼女たちの2年目の境遇に関して特にあてはまった)

配給を受け取っていなかったという事実は、「慰安所」が軍の施設ではなく、軍を相手にした商売だったからだと考えられます。
しかも、“near-luxury”、訳は「“贅沢”と言ってもいい」としましたが、贅沢に近い、暮らしをしていた、ということです。

They lived well because their food and material was not heavily rationed and they had plenty of money with which to purchase desired articles. They were able to buy cloth, shoes, cigarettes, and cosmetics
(彼女たちは良い暮らしをしていた。食物と物資は高くはなく、彼女たちは欲しい物を購入するためのお金を十分に持っていたためである。彼女たちは服、靴、タバコ、および化粧品を購入する事ができた)

…だそうです。

While in Burma they amused themselves by participating in sports events with both officers and men, and attended picnics, entertainments, and social dinners. They had a phonograph and in the towns they were allowed to go shopping.
(ビルマにいる間、彼女たちは、将校および一般兵の双方と共にスポーツ大会に参加し、ピクニック、娯楽、および晩餐会に出席して楽しんだ。彼女たちはレコードプレーヤーを保有し、そして町では買い物に行く事が許されていた)

もはや、「性奴隷」とは言えないですよね。

The “house master” received fifty to sixty per cent of the girls’ gross earnings depending on how much of a debt each girl had incurred when she signed her contract. This meant that in an average month a girl would gross about fifteen hundred yen. She turned over seven hundred and fifty to the “master”. Many “masters” made life very difficult for the girls by charging them high prices for food and other articles.
(”舎監”は、契約にサインした時点で各々の女性たちがどの位の負債を負っていたかにより、女性の総収益の 50~60%を受け取った。これは、女性が平均的に月におよそ1,500円を稼いだ事を意味した。彼女は、750円を”主人”に渡した。多くの”主人”が、彼女らに食物その他の物資に高い価格を請求する事で、彼女らの暮らしを非常に苦しくした)

彼女たちを搾取していた、とすれば、「慰安所」の持ち主でしょう。
当時、日本軍の給料は大将で550円。少尉で70円。二等兵だと6円ということですから、
月750円は儲けてますよね、確実に。

In the latter part of 1943 the Army issued orders that certain girls who had paid their debt could return home. Some of the girls were thus allowed to return to Korea.
1943年後半、軍は債務を返済した特定の女性は帰国する事ができるという命令を出した。何人かの女性がこうして韓国に戻る事ができた。

強制的に「性奴隷」とされていたわけではなく、ちゃんと帰国することもできました。

The interrogations further show that the health of these girls was good. They were well supplied with all types of contraceptives, and often soldiers would bring their own which had been supplied by the army. They were well trained in looking after both themselves and customers in the matter of hygiene. A regular Japanese Army doctor visited the houses once a week and any girl found diseased was given treatment, secluded, and eventually sent to a hospital.
尋問は、さらにこれらの女性の健康状態が良好であった事を示す。彼女たちは全ての方式の避妊を良く施され、そしてしばしば、兵士は自身が軍に供給された物を持って来る。彼女たちは、衛生の問題に関し、自分達と顧客の両方の世話をする訓練を受けた。週に1度、日本の正規の軍医が慰安所を訪れ、病にかかった女性は治療を受け、最終的には病院に送られた。

ちゃんと健康管理もされていました。

以上、『慰安所管理人の日記』“Report No. 49: Japanese Prisoners of
WarInterrogation on Prostitution”という戦時中に客観的に示された資料による
「慰安婦の実態」を見てきました。

「慰安婦問題」でややこしいのは、「慰安婦の強制連行がなかった」という話が
「売春を肯定するのか」とか、「苦しんでいる人がいるだろう」とか、
別の議論になってしまうことです。

もちろん、春をひさぐ商売にはつらいこともあったでしょうし、
親や女衒にだまされて悲しい思いをしたこともあったでしょう。
そもそも、我々は売春を肯定しているわけではありませんし、
こうしたことで苦しんでいる人たちをなくしたい、とも思っています。
しかし、「軍が強制連行し、性奴隷にした」という嘘は許せません。
(しかも、20万人とか)

とにかく、命を賭けて、国のために戦った人たちのことを
冤罪で責めたてるのは、それがどの国の人であったとしてもよいことではありません。

「事実」は何だったのか、に基づいて、誤解を解いていく必要があると考えます。

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