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南京・つくられた”大虐殺”~シリーズ南京事件(1)

【配信開始】2014年7月26日
【再生時間】15分34秒
【番組URL】https://www.nicovideo.jp/watch/sm28307651

第二次世界大戦中の1937年12月13日、日本軍は中国の首都、南京市に入りました。それから6週間にわたって、日本軍が一般市民、捕虜を30万人殺害し、強姦、略奪、放火等の暴行を行ったとされるのが、いわゆる「南京大虐殺」。南京事件、南京虐殺とも呼ばれます。

中国による欧米の新聞や書籍を使っての宣伝工作

「南京大虐殺」は宣伝工作による報道や書籍によって、実際に起こった事件として世界に知れ渡りました。

事例(1) 取材ではなく、中国側の人間のメモによって書かれた米国新聞の記事

「南京事件」は、日本軍が南京に入城した2日後の12月15日には米国メディアで取り上げられていました。12月15日のシカゴデイリーニューズでは「市内の通りはいたるところに市民の死体や中国軍の装備・平服が散乱していた」とあり、18日のニューヨークタイムズには「南京における大規模な虐殺と蛮行により、南京は恐怖の町と化した」と書かれたのです。しかし、この新聞記事の内容は、記者が自分で目撃したものではなく、南京大学の教授で国際院会の中心メンバーの一人、マイナー・ベイツが記者たちに渡したメモがもとになっていたのです。このベイツという人物は中立的な第三者ではなく、中国国民党政府の顧問であり、中国の宣伝工作に加担していたのです。

事例(2) 中国国民党中央宣伝部の顧問が英国新聞の特派員を務めていた

南京入城の翌年(1938年)8月にはイギリスの新聞マンチェスターガーディアンの特派員、H・J・ティンパーリーが、『戦争とは何か』を出版し、南京の惨状を世界に訴えました。しかし、著者ティンパーリーもまた、中立的な第三者ではなく、中国国民党中央宣伝部の顧問だったのです。これについては曾虚白(ソウキョハク)という国民党中央宣伝部の国際宣伝所長の自伝に「我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらい、印刷して発行することを決定した」と記されています。

中国は国際世論を誘導し、干渉を求めた

立命館大学特別任用教授の北村稔氏はこれらの事例に対し、「組織的な裏工作があった」「いかに欧米人のジャーナリストを抱きこんだかということを物語っている」と分析します。そして、このような組織ぐるみの対外宣伝の理由については、中国の国民政府が、日中戦争をやっても日本に勝てないのはわかっていたため、アメリカに出てきてほしかったのだと言います。中国のあまりの熱心な訴えに、他国はそれが全くの嘘であるとは考えられずにだまされてしまう――しかし実際には、中国は政治目的の嘘を作り上げたのです。