2020年7月30日、午後7時24分(日本時間同8時24分)「台湾民主化の父」である李登輝元総統97)が入院先の病院で逝去しました。ザ・ファクトでは、ちょうど4年前の今日、2016年7月31日に沖縄県石垣市内のホテルで行われた李登輝元総統の講演会を取材し、番組として配信しました。今回、台湾を民主化に導いた李登輝元総統に敬意と哀悼の意を表し、以下、講演の全文を掲載します。

李登輝元総統_プロフ写真フォーマット(縦)

李 登輝(り・とうき)氏
1923年1月15日 ‐2020年7月30日没
第4代中華民国総統、第7代中華民国副総統
1990年代の民主化移行期に台湾を率い、
台湾に自由と民主主義をもたらした。

会場外観

会場のANAインターコンチネンタルホテル(沖縄県石垣市)

会場引き

講演会には全国からおよそ500人の聴衆が詰めかけた

講演入場立ち

当時93歳の李登輝元総統は歩いて登壇された

李登輝元総統in石垣 講演会

テーマは「石垣島の歴史発展から提言する日台交流のモデル」

李登輝元総統:会場にお集まりの皆さま、こんにちは!このたび招待を受けまして石垣島へ参りました。かつて、二〇〇八年には沖縄本島を訪れたことはありましたが、沖縄県のなかでも特に石垣島は、歴史的にも文化的にも、産業の面でも台湾と密接な歴史を有しており、大変楽しみに参った次第です。そこで本日は、全国青年市長会に所属する若手の市長さんも多く参加していることから、「石垣島の歴史発展から提言する日台交流のモデル」というテーマでお話しをしたいと思います。

講演中_正面①

戦前から密接な関係だった石垣島と台湾

李登輝元総統:それではまず、石垣島と台湾の歴史上の繋がりからお話しすることにいたしましょう。石垣島と台湾の密接な関係は、台湾が日本の統治下に組み込まれて間もなくの頃からすでに始まっていました。台湾と日本内地を結ぶ航路が開設されたことで、石垣島は日台間の往来におけるハブの機能を担うこととなり、台湾との貿易や往来はかなり盛んになっていったのです。その中で特に言及しておかなければならないのは、日本統治時代から戦後を通して、一貫して石垣島の農業に貢献した台湾からの移民の人々でしょう。
戦前には、1930年代に台湾中部から大量の移民が石垣島へやって来ました。彼らが主に持ち込んだのは、パイナップルの栽培と缶詰製造の技術、そして農業を手伝ってくれる水牛たちです。台湾ではすでにパイナップルの栽培が一大産業となっており、1920年代にはパイナップルの缶詰の製造輸出で財を成した人も多くおりました。ただ、その後に多くのパイナップルの栽培や加工に携わる会社が林立したことで、台湾総督府が統合政策を進めたため、それまでパイナップル産業に携わっていた人々が新天地を求めて石垣島へやって来たのです。

講演中①

台湾の人々の尽力でパイナップル産業が石垣島の経済を支えた

李登輝元総統:ただ新天地のはずの石垣島での生活は困難を極めたようです。台湾からやって来た人々が開墾したのは森林に覆われた丘陵地だったため、まずは木を伐採する焼畑農業によってパイナップルを植え付ける畑を確保していかなければなりませんでした。幸いにも開墾された土地は肥沃で水はけも良く、パイナップルの栽培に適していたこともあり、台湾の人々に支えられたパイナップル産業は飛躍的に成長し、戦前の石垣島の経済を支える柱の一つとなっていったのです。記録によると、当時、台湾の人々によって設立された大同拓殖株式会社が、1937年に台湾からの移民を募集しています。かなり高待遇の条件が提示されると、三百人を超える申込者が殺到し、石垣のパイナップル産業は80haもの畑を開墾するに至り、ますます成長を続けることになるのです。
この大規模な開墾の一躍を担ったのが、台湾から持ち込まれた水牛でした。当時、耕作機械のない時代に、人間の力で開墾できる能力には限りがあります。ところが、水牛は一頭で人間の三~五人分の働きをするため、数倍のスピードで開墾を進めることが可能となるのです。現在では、水牛が耕作に用いられることはありませんが、当時、台湾から持ち込まれた水牛の子孫たちが、石垣島付近の離島で水牛車を引っ張り、人々を喜ばせていると聞いております。台湾人の勤勉さを表すときによく用いられる「水牛精神」はここから来ているのです。
もちろん、こうした急激なパイナップル産業の成長に石垣島の人々が脅威を感じたことも否定できません。開墾は厳しかったものの、水牛を用いた台湾の人々の農法は、その勤勉さや人数の急速な増加とも相まって、石垣島の人々に「土地を奪われるのではないか」という脅威として捉えられてしまい、台湾から来た移民の人々との軋轢が生じたことも事実です。
ただし、ここで特筆しておくべきことは、台湾の実業家が中心となって「台友会」と呼ばれる組織が結成されたことにあります。台友会は、石垣島の人々との対立を出来るかぎり回避するための相互理解の窓口となると同時に、台湾からやって来た人々の結束と心のよりどころとして大きな意義を果たしています。これによって現地の人々と台湾からの移民の人々の間の軋轢は減少し、融和が一層進んだことは言うまでもありません。

講演中_正面②

終戦後も途絶えなかった台湾と石垣島の関係

李登輝元総統:大東亜戦争の激化によって、パイナップル産業に従事する人口は減少し、一時的に衰退していきます。さらに、日本の敗戦により、台湾との間には国境線が引かれる結果となってしまいました。しかし、石垣島と台湾の深い結びつきが途絶えることはありませんでした。大東亜戦争によって衰退した石垣島のパイナップル産業を復興に導いたのが、
石垣島に残留することを決めていた台湾の人々だったからです。
パイナップル産業を復興させようとする台湾の人々を中心として、沖縄本島などから大量に流入した開拓移民の協力も重なり、1950年代には産業は完全に復興され、大きなブームを呼び起こしました。産業の成長にともない、パイナップルの生産量も右肩上がりに増加していきます。しかし、当時はパイナップルの加工技術が、まだ未熟だったことに加え、労働力不足も相まって、缶詰の製造量がパイナップルの生産量に見合っていたとは言い難い状況でした。
こうした状況を解決したのもまた台湾の人々だったのです。当時すでにパイナップルの缶詰加工技術が確立されていた台湾から、栽培や缶詰加工の指導者を呼び寄せたことで、技術の向上と作業の効率化を図ることにしたのです。
台湾から石垣島へ技術者を招くことは「技術指導」と呼ばれ、缶詰加工の分野においては多くの熟練者が石垣島へ渡りました。この技術導入により、地元の労働者のパイナップル栽培や缶詰加工技術も飛躍的に向上する一方、台湾から指導に渡った人々の勤勉さや誠実さ、技術の高さが地元の人々からも高く評価されたと聞きます。
こうした状況は、戦前には、時として脅威と捉えられたこともある台湾からの移民の人々と、地元石垣島の人々との
共生に繋がったのです。
今や石垣島を代表する果物となったパイナップルは、台湾からやってきた人々がマラリアと戦い、地元の人々との融和を探りながら根付かせたものなのです。戦前から戦後を通じ、台湾から石垣島へ渡った人々が言葉にできない苦労を重ね、今日の発展に繋がった努力を、私もひとりの台湾人として誇りに感じています。特に、パイナップルをはじめとする農業発展の分野における台湾人の貢献は決して小さなものではなかったと自負するものです。それと同時に、地元石垣島の人々が、台湾からやって来た人々と融和し、今日の石垣島において共存共栄していることに感謝申し上げたいと思います。

講演中_正面⑤

日台関係をより一層進化させるための方策

李登輝元総統:さてこうした石垣島と台湾の歴史的な繋がりを考えると同時に日台関係もより一層進化させるための方策が見えてきます。日台がお互いに手を携えて協力してきた分野はこれまでの農業技術の分野から現在の工業化の情報化・高齢化といった社会の情勢をふまえ、さらに広がりつつあるものがあります。
例えば、私は4年前に大腸ガンが見つかり、
手術をしたことがありました。台湾における死亡原因は、日本と同じくガンが第1位です。手術が無事に成功したあと、私は日本の最先端のガン治療技術を台湾にも導入したいと考えました。積極的に日本に働きかけてきました。
その甲斐があって、日本の重粒子治療設備が台北の病院にも導入されることとなり、二年後には治療を始められるところまで来ています。
私は今月、日本で『日台IoT同盟』という本を出版しました。イェール大学名誉教授の浜田宏一先生との対談をまとめたものです。この本のテーマになっている「IoT」とは「Internet of Things」の略で、簡単にいえば、従来はインターネットを利用するためにはパソコンや携帯電話を使われなければなりませんでしたが、IoTは、それこそ身の回りにある、あらゆる製品を対象にした「モノとモノを繋ぐインターネット技術」のことです。あらゆる製品に埋め込まれたセンサーがネットにつながることによって、新しいサービスや仕組みが生まれてきます。私たちの日常生活すら一変する革新的技術で、世界の企業が開発を競っているのです。私はこの「IoT」技術が、それこそ「第四次産業革命」となって日本や台湾をはじめ、世界の産業を大きく改変する潜在力を秘めていると確信し、数年前からこの「IoT」を経済の起爆剤として用いるよう提言してきたのです。

講演中_正面④

李登輝元総統:日本でもいろいろなところでIoTの試みが行われています。それも、ハイテク産業とは程遠いイメージが強い農業でもIoTが活用されています。ここに、これからの石垣島と台湾との交流、とくに経済交流について参考となるものが少なくないものだと考えます。例えば、日本一の米生産といえば新潟県。ところが新潟県に限らず、どこでも農業就業者が減ってきているという問題があります。さらに収益性を高めるために、農地の集約も進められています。
するとどういうことが起こるか。農業就業者が少なくなると機械化など、省力化が求められることになるのです。稲作でもっとも手間がかかる作業といえば、水位の管理です。田植えの直後など、農民は広大な水田をかなりの時間をかけて朝夕見回っています。一説によると水田管理労働者は経営コストの約三割を占めるともいわれています。今後、農業就業者が少なくなって、農地の集約化が進めばますますその負担は重くなってきます。そこで新潟市は通信業者と協力し、将来の農業を改革するプロジェクトに取り組んでいます。田んぼの水位をミリ単位で計測するセンサーを設置し、取得されたデータは農家の携帯電話やパソコンに伝えられます。農民は、わざわざ水田まで出向かなくても、家にいながら水位を把握できるわけです。これは大きな省力化に繋がるでしょう。
ただ、この夢のような技術であるIoTにも問題点があります。「日本には優れた技術はあるけど、なかなか事業として成立させられない」これは、あるアメリカ人の技術者がもたらした一言ですが、ここに現在の台湾と日本がいかにして交流を深化させていくか、特に経済交流についての示唆に富んでいます。つまり、IoTの分野では、確かに日本の技術は世界の中でも先行しています。しかし、その技術の多くが自社内に閉じこもったサービスのため、事業化や世界展開に困難があるのです。
その点、台湾はグローバル生産市場のニーズに応じて、半導体などの部品を大量に生産する技術に優れています。私が総統だったとき、巨額を出資して半導体の生産体制を構築しました。これを基礎に多くの半導体製造会社があり、IoT用半導体の開発を行っています。そこで日本企業の研究開発力と台湾の生産技術が力を合わせれば、世界市場を制覇することも夢ではないのです。
日本経済は再び成長路線に乗ることができるでしょう。台湾がIoTの大きな生産拠点になれば雇用も増えることでしょう。そしてGDPの伸び率も3~4%は維持できるでしょう。こうした日台間の協力関係は、戦前や1960年代のパイナップル産業の導入の形を彷彿させます。あの当時、パイナップルの栽培や加工に一日の長があったのは台湾でした。そこで、戦後は台湾から「技術導入」という形で石垣島のパイナップル産業を助けたのです。今後、日本がIoTを軸とした経済政策を打ち出すのであれば、台湾との協力は不可欠です。また、台湾から見ても、同様に
IoT政策を進めるのであれば、日本の先行研究抜きには語れないことです。ここに、研究は日本、製造は台湾という、まさに石垣島における農業の発展に台湾からの移民の人々が大きく寄与したのと同様、日本と台湾が手と手を取り合って経済協力の深化を進めていく形が生まれるのです。これぞまさに、石垣島の歴史から見た、台湾と日本との交流をますます深化させるモデルになりうるといえるのではないでしょうか。

講演中_正面③

台湾と日本は共通の価値観を持つ「運命共同体」

李登輝元総統:台湾も日本も、ともにアジアで最も民主化の進んだ国家です。人権や平和を重んじるなど、共通の価値観を有しています。さらに、両国ともに四方を海に囲まれた国であり、利害が一致するところも多くあります。ここで私が再度強調しておきたいのは、台湾も日本もお互いに運命共同体だということです。日台間には正式な国交がないながら、経済面や文化面において非常に密接な関係を維持し続けてきました。台湾で921大地震が発生した際、真っ先に台湾に駆けつけ、救助を行ってくれたのは日本の救助隊でした。さらに、東日本大震災の際、世界で最も多くの義捐金を届けたのは台湾でした。この義捐金は、政府が主導した結果ではありません。台湾の人々の日本に対する思いが表れた結果なのです。
繰り返しになりますが、台湾と日本はお互いに運命共同体であり、これからより一層の密接な協力関係を深化させていかなければならないのです。石垣島の例は、日台が協力関係を築く上でのモデルとなるでしょう。前世紀において、確立された協力関係を基礎にして、新しい世紀に向けて挑戦を続けることが、日台双方の交流深化の新しいモデルとなることでしょう。
本日のお話が、地元石垣島の皆さんのみならず、全国各地からご参加の若い市長の皆さんや、日台交流に携わる方々のご参考になれば無常の光栄であります。
本日はありがとうございました。

退場

※921大地震
1999年9月21日に台湾中部の南投県集集鎮付近を震源として発生したマグニチュード7.6の大地震。
当局の発表によると人的被害は、死者2,415人、行方不明者29人、負傷者11,306人。
20世紀に台湾で起きた最大の地震。

921大地震

地震により1階部分が崩れ落ちた集集武昌宮

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【追悼】李登輝元台湾総統が「信仰」を語る~幸福実現党へのメッセージ【ザ・ファクト】
https://thefact.jp/2020/2368/

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【日台同盟待望論】新型コロナに勝った台湾、次は共産主義国家・中国を変える!【台湾取材レポート】
https://thefact.jp/2020/1794/

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https://youtu.be/DXK3AnJNTSw

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