1984年、イギリス領だった香港の返還や返還後の統治体制について中国とイギリスの間で中英共同声明が出された。香港特別行政区は「高度の自治権」を享有し、1997年から50年間、一国二制度を保障する内容の声明だった。その声明の趣旨は、香港の憲法にあたる「香港基本法」にも現在明記されている。しかし、1997年から23年後の2020年7月1日、その約束は「香港国家安全維持法」の施行により一方的に破られた。この日、「香港の自由が死んだ」とも言われている。

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今回の「香港国家安全維持法」にはいくつかの特色があるが、主な条文について、中国問題専門家の澁谷司氏のインタビューを交えながら検証していきたい。

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澁谷 司(しぶや・つかさ)氏
1953年生まれ
元拓殖大学海外事情研究所教授。アジア太平洋交流学会会長。
ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ(HSU)のビジティング・プロフェッサー。
東京外国語大学中国語学科卒業後、中国・台湾など、
東アジア国際関係論の専門家として活躍している。

香港のためでなく、中国共産党のために作られた法律

罪刑法定主義を無視した「香港国家安全維持法」

国家安全法の第三章には、「国家分裂罪」「国家権力転覆罪」「テロ活動罪」「外国または域外勢力と結託して国家の安全を害する罪」といった今回の法律が対象とする罪名について規定されている。この中で「テロ活動罪」については、第24条に具体的な罪名が示されている。暴力行為や水道、電気設備、交通網などの社会インフラの破壊行為が禁止されている。

第24条 中央人民政府、香港特別行政区政府もしくは国際機構を脅迫しまたは公衆を威嚇して政治的主張の実現を図るため、次の各号に掲げる、社会に著しい害を与えまたはそれを意図するテロ活動の一つを組織し、画策し、実施し、実施に加わりまたは実施すると脅しときには、犯罪となる。
1、人に対する重大な暴力。
2、爆発、放火または有毒性、放射性、感染症病原体等の物質散布。
3、交通手段、交通施設、電力設備、ガス設備またはその他の可燃・爆発設備を破壊すること。
4、水、電気、ガス、交通、通信、ネットワークなど公共サービス・管理の電子制御システムを著しく妨害し、破壊すること。
5、その他の危険な方法で公衆の健康または安全を著しく害すること。

しかし、一方で第20条「国家分裂罪」、第22条「国家権力転覆罪」、第29条「外国または域外勢力と結託して国家の安全を害する罪」については、テロ活動罪ほど具体的な罪名が言及されておらず、曖昧な表現になっている。

澁谷:どういうことをしたら、国家分裂罪に当たるのか、それとも国家権力転覆罪にあたるのか、よくわからないんですね。従いまして、恐らくですね、なにか今の香港政府を倒すとか、場合によっては中央政府を倒すという形になりますと、「考えた時点で、策を練った時点で、そこから罪が確定する可能性がある」と。例えば、20条と22条をご覧いただくとわかるんですけど、「いかなる人でも組織し、策略を練っただけで、罪になる」というのは普通考えられませんよね。従いまして、こういう恣意的な法律は刑法の在り方として非常にまずいわけで、つまり中国共産党が今後なんでもできると、この法律を使って、どのようにでも逮捕者を出すことができる。自分たちの意見に従わない人間は、すべてこの法律で逮捕できるということになるんじゃないかと思います。

第20条 何人も次の各号に掲げる、国家の分裂、国家の統一破壊を狙う行為の一つを組織し、策略し、実施しまたは実施に加わったときには、武力を使用しまたは武力で威嚇したか否かに関わらず、犯罪となる。
1、香港特別行政区または中華人民共和国のどこか他の部分を中華人民共和国から分離させること。
2、香港特別行政区または中華人民共和国のどこか他の部分の法的地位を不法に変更すること。
3、香港特別行政区または中華人民共和国のどこか他の部分を外国の統治に帰させること。

第22条 何人も次の各号に掲げる、武力、武力使用の威嚇またはその他の不法な手段によって、国家政権の転覆を狙う行為の一つを組織し、策略し、実施しまたは実施に加わったときには、犯罪となる。
1、中華人民共和国憲法で確立された中華人民共和国の根本的制度を覆し、壊すこと。
2、中華人民共和国の中央政権機関または香港特別行政区の政権機関を覆すこと。
3、中華人民共和国の中央機関または香港特別行政区の政権機関の法に基づく機能遂行を著しく妨害し、阻害し、破壊すること。
4、香港特別行政区の政権機関の職責履行の場所とその施設を攻撃、破壊し、正常な機能を遂行できないようにすること。

法律には「罪刑法定主義」という原則がある。少し聞きなれない言葉かもしれないが、「罪刑法定主義」とは、「具体的にどのような行為をすると罪に問われるか、あらかじめ犯罪と刑罰の内容が規定されていないといけない」という原則のことである。

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この「罪刑法定主義」があることによって、あらかじめ定められた罪以外の「自由」が保障されたり、国家権力が恣意的に国民を捕まえて、処罰することを防ぐことができる。
その意味では、この「香港国家安全維持法」は中国中央政府の解釈一つで香港の人たちの生命や財産が奪われていく法律とも言えるのだ。

私たち日本人も「香港国家安全維持法」の適用対象なのか?

香港人以外の世界中の人々も取り締まり対象にした法律

また、この「香港国家安全維持法」は私たち日本人、そして、世界中の人々を対象していることが宣言された法律でもある。

法律用語に「属地主義」という言葉がある。例えば「香港の主権が及ぶ範囲で犯した罪は、日本人も外国人も同じく罰せられる」という考え方のことだ。

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つまり、私たち日本人が、香港の主権が及ぶところで、中国中央政府や香港政府への批判を行えば、それも取り締まりの対象になることが「香港国家安全維持法」で定められたことになる。それを定めたのが、第36条で、この法律が香港籍の船舶や飛行機にまで及ぶことも規定されている。

第36条 何人も香港特別行政区内で本法に規定する犯罪を実施した場合は、本法を適用する。犯罪の行為または結果が一つでも香港特別行政区内で発生した場合は、香港特別行政区内での犯罪と見なす。香港特別行政区に登記されている船舶または航空機内で本法に規定する犯罪を実施した場合も本法を適用する。

澁谷:(私たち日本人も)逮捕される可能が高いですよね。それも飛行機に乗った時点から、香港籍の船舶や飛行機に乗ったときからいわゆる「属地主義」というのが働きますから、船舶・飛行機も中国の旗が掲げられている限り、そこの法律が適用されるというのが国際的なルールですので。香港系のキャセイパシフィック航空に乗って、逮捕される可能性はありえます。先ほどから出ているような犯罪行為が明らかでないと本当は逮捕できませんよね。だけど、明らかでなくても、気に入らない人間だったら、香港の警察ないし、公安が逮捕する可能性は十分あるということですね。

まるで中国共産党の「世界覇権」を前提にした条文構成

そして、この法律の適用対象について、さらに驚くべき規定が第37条、第38条に定められている。香港人と香港人以外の人々が、香港以外の場所で、この法律に違反する行為を行えば罰せられるという内容だ。

第37条 香港特別行政区の永住民または香港特別行政区に設立された会社、団体などの法人または非法人の組織が香港特別行政区外で本法に規定する犯罪を実施した場合は、本法を適用する。

第38条 香港特別行政区の永住民の身分を備えない人が香港特別行政区外で香港特別行政区に対し、本法に規定する犯罪を実施した場合は、本法を適用する。

澁谷:例えば日本において、解党されましたが、デモシストに対して寄付したり、応援している人がもしかすると、香港系のキャセイパシフィック航空に乗った場合、逮捕される可能性はあるというふうに考えられます。日本においてSNSで今の香港政府はおかしいから絶対に倒さないといけないとか、今の習近平政権は問題があるとSNSで攻撃して、中国共産党の逆鱗に触れた場合、船舶においても中国・香港籍のものに乗った場合は逮捕される可能性があります。日本人でも反中国を掲げたり、反香港政府を掲げているような人たちはかなり気を付けられた方がいいと思います。

通常、法律の適用範囲は「自分の国の領域内を適用範囲」とする「属地主義」がとられるのが一般的だ。

澁谷:普通は同地において処罰を行うというのがルールなんです。つまりどういうことかというと、犯罪を犯したところが海外の裁判権、管轄権があるところで裁くのが普通です。そこで裁かれた人に関しては、二度と裁かれない、ないしは裁かれても減刑になるという国際ルールがあります。

しかし、この法律では、香港以外の国で行われた行為も取り締まり対象となることが宣言されている。まるで、中国共産党の「世界制覇の野望」が垣間見えるかのような法律の作りとなっているのだ。ところが、一方で、香港以外にもこの法律を適用する規定は「現実的ではない」と澁谷氏は指摘している。

澁谷:(日本国内も本法律の)対象には入りますが、実際中国の公安が日本人を逮捕する権限というのはないと思いますので、その場合、日本の警察がそれを捕まえて中国に送り渡すことが可能かどうかの大問題はあります。しかし、普通日本の警察で「香港国家安全維持法」に反対するというのは取り締まらないので、捕まえようがないということですね。

もしも「香港国家安全維持法違反」で逮捕されたら、なにが待ち受けているか?

中国中央政府の意向が反映された「国家安全保障局」の新設

今回の法律をもって、「国家安全維持公署」という中国中央政府の出先機関が新設され、取り締まりを行うことになった。第48条に定められているこの機関は、どのような権限があるのだろうか。

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第48条 中央人民政府は香港特別行政区に国家安全維持公署を設立する。公署は法に従い基づいて国家安全維持の職責を履行し、関係の権力を行使する。公署の人員は中央人民政府国家安全維持に関係する機関が合同で派遣する。

澁谷:国家安全維持公署は、中国中央政府の意向が確実に反映されるような機関になっていますので、つまり香港において国家分裂の犯罪を行いそうな団体及び個人に関しては徹底的に取り締まるという機関になっています。そのために署長は香港の行政長官が任命するという形ですけど、初めから送られてきた人を追認するという形だけのものですので、事実上中央政府の意向が非常に働きやすい形になってしまっています。つまり、ほとんど香港において司法権、立法権はなくなったと考えて頂いていいと思いますね。

中国大陸から派遣される公安職員が、香港で捜査権を行使することになるが場合によっては、香港住民を大陸に送って、裁判にかけることも可能となる。

中国大陸で行われている「秘密裁判」を肯定した第41条

裁判については、第41条で、公聴を禁じた秘密裁判を肯定するような文言が盛り込まれている。

第41条 (前略)国家の秘密、公共の秩序などに関わるため公開審理しない方がよい場合は、マスコミと公衆が全部または一部の審理手続きを傍聴することを禁止する。
しかし、判決の結果は一律に公表しなければならない。

では、もしも逮捕され裁判にかけられた場合は、どのような扱いを受けることになるのだろうか。

澁谷:香港の裁判所がやるにしても秘密裁判になる可能性が高いので、そうするとかつて法輪功をいじめるために、江沢民さんが1999年に610弁公室というのを作りました。一昨年、弁公室がなくなったと聞いたんですが、実際は今でも生きているらしいのです。610弁公室の場合、法輪功の修練者たちを引っ張って、拷問して、秘密裁判にかけて、処刑しています。場合によっては、臓器を抜き取ってしまいます。
おそらく香港人に対しても同じことが行われるんじゃないかと、私は危惧しています。秘密裁判なので、なにが行われるか分かりません。ちなみに、中国共産党の裁判というのはすべてショーです。すなわち、初めから全部シナリオがあるんですね。それに従って、裁判所は裁判を行います。どういうことかというと、検察もショーで「この人はこういうことを行いました」、弁護人も全部決まっていて「こういう悪いことをしました」と。場合によっては、容疑者犯人も自白させられたり、テレビでも自白させられます。有名人はテレビで自白させられるんですが、そうでない人はすべて中国共産党が用意したものを読まないと、罪がさらに重くなります。裁判所も全部シナリオに従って裁判を行うわけですから、あっという間に裁判は終わります。普通、5日連続で行うことはないですね。それが中国の裁判です。

このように、もし香港で裁判にかけられた場合は中国大陸に送られて、秘密裁判や人権を無視した取り調べが行われる可能性があるのだ。

この法律に隠された「世界覇権宣言」のメッセージ

「香港の安全を守るため」という理由で施行された「香港国家安全維持法」は、50年間約束されていたはずの「一国二制度」を破壊し、事実上、中国共産党の覇権拡大を宣言した法律になっている。

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私たちは、この法律に隠された中国共産党の本当のメッセージを知らなくてはならないのだ。

こちらもご覧ください

全人代開幕前日に北京で雷鳴!香港版「国家安全法」の裏で中国共産党が内部対立!?〜シリーズ「中国は今」⑥【ザ・ファクト】
https://thefact.jp/2020/1988/

サムネイル_香港編

香港民主化の流れは2020年、台湾総統選へ(ゲスト:澁谷司氏)〜シリーズ「中国は今」⑤【ザ・ファクト】
https://youtu.be/VrgRENh5TXY

第5回サムネイル

【MV】Free Hong Kong,revolution now~“A Little Bird With No Name”【THE FACT】
https://youtu.be/kB49zcr7sog

恍多MV「名もなき little bird」サムネイル 英語版

雨傘革命の「女神」に独占インタビュー!【ザ・ファクト】
https://youtu.be/SHedmQo_i7U

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