2016年1月31日、京都商工会議所で、
元米国海兵隊政務外交部次長のロバート・エルドリッヂ氏が
「『沖縄問題とは何か』―マスコミが報道しない真実と神話―」と題し、講演を行った。
その中で、エルドリッヂ氏は、沖縄問題の奥深くに潜む問題点を鋭く指摘した。
なぜ、沖縄の基地反対運動には終わりがないのか――。
エルドリッヂ氏の20年に及ぶ沖縄研究の成果が語られた。

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ロバート・エルドリッヂ氏 略歴

ロバート・エルドリッヂ

エルドリッヂ研究所代表。政治学博士。
1968年米国生まれ。
元沖縄海兵隊政務外交部次長。
2015年5月、キャンプシュワブに不法侵入した
活動家の監視カメラ映像を公開して海兵隊を更迭された。

トモダチ作戦発案者エルドリッジ氏が「基地不法侵入映像流出事件」の真相を激白!

(エルドリッヂ氏が公開した監視カメラ映像)

英語教師から海兵隊へ

ご紹介預かりました、ロバート・エルドリッヂと申します。

今日は沖縄の現状とか真実を紹介したいと思っております。
副題に神話という言葉も入れていますが、
それは沖縄について報道されているもの、あるいは報道されていないものの中には、
事実でない思い込んでいるもの、先入観、洗脳されているものが実は山ほどあります。
その神話、真実ではないことが
結局いわゆる沖縄問題の大げさな議論の中心になっているんです。

自己紹介ですが、
私はもともと日本に参りましたのは26年前です。
みなさんのすぐ近くの兵庫県に英語の教師として派遣されていました。
最初は日本に長くても一年間滞在するつもりだったんですが、
いつの間にか26年が経過してしまいました(笑)。

途中で神戸大学院に入って、指導教官の五百籏頭真先生の下で学びました。
先生は最近まで防衛大学の校長も勤めていた方です。
そのあと、サントリーとかいろいろ研究機関に所属して、
最終的に大阪大学に准教授として8年余りおりました。
その間、海兵隊といろんな関わりを持つようになりました。

特に沖縄の研究を約20年前からスタートしたんですが、
そこで私はいろいろな疑問を持つようになりました。
その疑問は何かというと、戦後沖縄を語る際は、
ほとんどといっていいくらい革新系の研究者の方々が書いていたもの、
研究者というより活動家、弁護士団体というような人たちが書いたものが多くて、
「何が事実か、何が事実でないか」について途中から疑問を持つようになったんです。
最初、学生のうちは「活字になっている限り、事実」と思い込んでいたんですが、
歴史研究をやりながら、一次資料が語っているものと
そういう革新系の研究者が語っているものが
全く違うということが見えるようになったんです。

日本政府は沖縄を見捨てていなかった

「沖縄問題の起源」という
2003年に私が日本語で出版した本があります。

沖縄問題の起源

これは1952年に発効した対日講和条約(サンフランシスコ講和条約)の際、
第3条では沖縄の処分が対象になっていました。
その本は「なぜ沖縄が分離されたのか」
「はたして日本政府は何もしなかったのか」
ということを研究したものです。
この本が大きく二つの柱で成り立っています。
一つは「アメリカ側の意思決定」。
二つ目が「日米のいわゆる交渉」。
交渉といっても皆さんがご存知のように、
ポツダム宣言によって日本はすべての外交権を失ったといっていいぐらいの状態でした。
したがって、主権国家としての従来の交渉権がない。
にもかかわらず日本政府は早くから
この戦後処理についていろんな検討・研究をはじめており、
その一つが沖縄のことでした。
結局、日本側の粘り強い要請・要望(私は交渉そのものと思ってるんですが)
によって沖縄は完全に分離されたのではなく、
いわゆる「潜在主権」という形で残された。

サンフランシスコ講和条約

(サンフランシスコ講和条約調印式)

当時、アメリカの軍部と国務省は「沖縄」をどういう風に見ていたか。
簡単に言いますと軍部は戦略的に沖縄を完全に分離したかった。
一方、国務省はどうしてもそれを避けたかった。
つまり、「日本に沖縄を残したい」と希望していました。
このような激しい議論がアメリカ政府内で何年間も続いていたのです。
それがこの本で、解明されています。
それ書きながら途中で疑問に思っていたのは、大きく二つのことです。
一つは「講和条約の際の、(沖縄を潜在主権として残した)日本政府の努力が
評価されなかっただけではなく、そもそもなぜ取り上げてこなかったのか」

ということです。
取り上げられるべき根拠、もしくは材料はあったわけです。
1980年代初頭、外務省は第7回の資料公開で
研究者に閲覧できるような機会をつくっていました。
しかし私の先輩の沖縄の研究者は誰一人それを使いませんでした。
それが意図的なのか、無意識的にやらなかったのかわかりません。
「どうせ日本は沖縄のために何もやらなかっただろう」という先入観で見ていたのか、
それとも「不都合な真実」として、あえて取り上げなかったのか。
それはちょっとわかりません。

もう一つ、1947年9月にいわゆる「天皇メッセージ」というものがありました。
これは私の本で初めて真相が見えるようになったものです。

天皇メッセージ

(天皇メッセージ)

天皇メッセージというのは「沖縄を基地化していい」という提案でした。
これが日本政府、天皇陛下を含めて、日本政府は沖縄のこと考えていなかった
という左系の議論の根拠になっていました。
私も最初は「そのとおりかな」と思ってたんですが、
一次資料を読むと、まったく違うことが語られていたのです。
それが周辺の資料にあたると、より見えてきました。
周辺的な資料の一つは、
先ほど申し上げた外務省による沖縄を日本に残すための事実上の交渉。
これと天皇メッセージの内容は非常に共通しています。
つまり1947年当時、国際連合、あるいは連合国は極めて厳しい見方持っており、
沖縄を分離するという前提で政策を展開していました。
それどうしても止めないといけない。
たとえば1947年6月1日に新しくできた片山内閣の外相を務めた、
芦田均さんが記者会見を行って、
彼はその「沖縄は日本の一部だ」とはっきり明言しています。

芦田均

(芦田均外相<当時>)

それに対して、マッカーサーはものすごく怒って、
「沖縄は日本の一部ではない」という言い合いが生じました。
1947年6月上旬のことです。
その結果、芦田外相は非常にやりづらくなりました。
にもかかわらず外務省は一生懸命、一生懸命プッシュしていったのです。
しかし、それが行き詰まったので、もしかすると今度天皇陛下のほうから
(「天皇メッセージ」という形で)促したのではないか、
という風に分析しています。
これがこの本が明かした「天皇メッセージ」の真相です。

沖縄県民集会というウソ

さて沖縄ですけれども、
書かれているものとそうでないもの。
この写真は昨年5月17日に行ったいわゆる県民集会のものです。

県民大会NO

(2015年5月THE FACT撮影)

ここからいろんなことが見えてきます。
県民ではない、県外の方々がいかに多いか。
あと、約3万5千名参加した、と言われていますがこれは嘘です。
いろんな分析の結果、約17,000名あるいは18,000名。
しかも県外の人たちが圧倒的に多かった。

県民集会会場02

県民がほとんどいない04

県民がほとんどいない05

(2015年5月THE FACT撮影)

なぜ、その違いが数字的な違いが出るかというと、
所属している団体の名簿が主催者に提出される。
あの方々はいろんな団体に所属しています。
で、そのすべて反対の団体に自分の名前が入っています。
ですので3つの名簿が出された場合、同じ人は3回載っていることになる。
したがって、名簿上の人数の合計はこういう数字になるんですが、
実際にはこの半分か3分の1でした。

辺野古移設反対は民意というウソ

で次の写真ですが、辺野古。
その奥に写っているのは、キャンプシュワブです。
このようなバナーを基地のフェンスに毎週のように張っているんです。
このバナーを写して、また住民が反対しているんだな、と思われる、
あるいは思わせる記事、もしくは分析ばかりですが、
これはハングルで書いているもの。

辺野古ハングル

(2014年1月THE FACT撮影)

本来、辺野古で韓国語でしゃべる人はいないので、
実は県外の人たちもかなり多い、ということです。
(県外の人たちが)寄付金と一緒にバナーを送っているんですね。
要するに手数料として送っている。
20年近く、こういう沖縄が写され、報じられています。

本心が言えない沖縄の現実

もう一つの写真ですが、
伊江島という沖縄の西北にある島に向かうフェリーに、
海兵隊員が乗っていたとき、小さい子供が熱中症で倒れて意識不明になりました。
その家族や船に乗っている人たちの誰も手当ての方法がわからない中、
治療・対処法について教育・訓練を受けていた海兵隊員が
応急手当てをして、子供が意識を取り戻した、という事件がありました。
それに感謝した沖縄県民の一人が、
その隊員をあるところに呼んで花を渡したんですが、
写真を見たら彼女の顔が見えないように加工されています。

伊江島隊員

この写真は彼女が自分でアップしたものですが、顔を見えないようにしてあります。
それ何故でしょうか。おそらく想像できるのは、
沖縄は同調圧力の社会ですので、これがバレたら職場とか家族、
娘さんの学校とかそういった場所でイジメにあう。
何で米軍に対して感謝するんですかとか、そういう状態です。

なぜこういう雰囲気なのか。
この雰囲気を作っているのが「米軍は危険」だというメディアによる報道です。
これは結構有名な図ですが、
実際にはこういうような状態になっているんですけれども、
そのメディアのレンズから見たら全く逆の形になっています。

メディア偏向

反対運動家は地元民ではない

反対運動ですが、これは全く利権の構造そのものです。
反対運動の人は地元の人ではないことがよくわかる。
この人は「京都から来てます」と明言している。

京都から来ました02

あと、アルバイト代をもらっている。

幹部には日当

(2014年1月THE FACTの取材に答える普天間基地周辺住民の方/詳しくはこちらの記事をご覧ください。)

企業が連携しているんです。
反対運動に連携することで結局、企業に見返りが来るようになっています。
契約、お金、あるいは主要なポストに配属される、など様々な形で。
だからもう腐敗だらけで、全く正当性がありません。

解決策としては、米軍、日本政府、県民の三者。
米軍側は住民の要望にもっと配慮する。配慮できるものはまだたくさんあります。
日本政府はもっと透明性を高める。
そして県民が誠意をもって対処する。
このようなかたちで解決策を探っていくのがよいと思っています。

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