イラン人女性



今年に入って、最も世界を騒がせている出来事の一つ、
それはスンニ派国家の代表格サウジアラビアと、
シーア派の大国イランの国交断絶。
その背景にある原因を2回に分けて解説します。


サウジアラビアとイランが国交断絶!中東は一触即発!?

事の発端は2016年1月2日にサウジ政府が行った
シーア派宗教指導者の処刑でした。
翌日3日には、処刑に反発した民衆がテヘランの
サウジ大使館に集まり、暴徒化した一部が放火。
サウジ政府はイランとの国交断絶を発表、
いまも一触即発の様相を呈しています。

周辺国に目を向けると、スンニ派湾岸諸国のクウェート、
UAEなどはイランから大使を召還し、サウジ政府に
同調する姿勢を見せています。
その一方、イラン以外でも、バーレーン王国やイラクの
首都バグダッドなどシーア派が多数住む地域では、
サウジ政府への抗議デモが行われており、
中東全域で宗派対立が激化の一途を辿っています。

では、国交断絶の背景にある宗派対立とは
どういうものなのか。
考えてみたいと思います。

国交断絶の背景にあるもの【その1】:宗派対立

スンニ派とシーア派って何が違うの?

イスラム教には大きく分けて
「スンニ派」「シーア派」という2つの宗派があります。
人口比率を見ると、イスラム教徒のおよそ9割がスンニ派、
およそ1割がシーア派の人々と言われていますが、
この2つの宗派は何が違うのか?

スンニ派 9割



スンニ派が重視しているのは、預言者ムハンマドが
遺した「慣行(スンニ)」や「教え」。
一方、シーア派は、預言者ムハンマドの「血統」、
つまり「誰が後継者に相応しいか」という点を
重視しています。

スンニ派 シーア派 概要



逆に、それ以外には礼拝時に腕を組むか(スンニ派)、
組まないか(シーア派)といった点や、
一日に礼拝を規則通り5回行うか(スンニ派)、
3回に凝縮しているか(シーア派)といった程度の
違いしかありません。

宗派対立の淵源にあるものは?

宗派対立の淵源にあるもの。
それはイスラム教の開祖ムハンマド没後に起こった
後継者争いです。

ムハンマド没後、預言者の代理人としての「カリフ」が
初期信者の合意によって選ばれました。
初代アブーバクル、二代ウマル、三代ウスマーンと
預言者と直接血の繋がっていない者が
カリフとなりましたが、四代目でようやくムハンマドの
従弟であり、義理の息子でもあるアリーがカリフに
選出されることとなります。

しかし、三代目ウスマーンの息子、ムアーウィアと
後継争いで対立。
その後、対立は調停されますが、
もともとアリーを支援していた者たちの手によって
アリーは暗殺されてしまいます。
対照的に、ムアーウィアはウマイヤ朝を興し、
初代カリフに就任します。
この後継者を巡る対立がスンニ派とシーア派に
分裂した淵源となりました。
(シーアという言葉が「派」という意味を持ち、
「アリー派」という意味を持っています)

シーア派の悲劇

シーア派にとっての悲劇はこれに留まりません。
アリーの息子であり、3代目イマーム(シーア派に
おける預言者の血統を引く指導者の意味)のフサインが
ウマイヤ朝の大軍とカルバラー(現イラク中部)で衝突。
少数の手勢しか連れていなかったフサインは
虐殺されてしまいます。
この出来事は「カルバラーの悲劇」と呼ばれ、
カルバラーはシーア派の代表的な聖地の一つと
なっています。

また、フサイン殉教の日に合わせて行われる
シーア派最大の宗教行事が「アーシュラー」です。
「アーシュラー」は1300年以上に渡って、
シーア派が多数住む地域で行われており、
この前後には宗派対立の激化が顕著になると
言われています。

昨年10月下旬、実際に私がイランの首都テヘランで
参加した「アーシュラー」の写真です。

三代目イマーム

3代目イマーム、フサイン


イラン国旗の色

イランの国旗の色と羊の血に染まるテヘランの沿道


手に持っている鎖を身体に打ちつけ、フサインの痛みを分かち、追悼する

手に持っている鎖を身体に打ちつけ、フサインの痛みを分かち、追悼する


参加する前は、もっと厳格で激しい行事を
想像していましたが、
テヘランの中心部においてはそこまでの物々しさは
感じませんでした。
鎖も身体に軽く当てるという程度のもので、
若い男女をはじめ、多くの人々にとっては
社交の場になっており、日本のお祭りにも
共通する雰囲気を感じました。
しかし、その中に脈々と流れる悲しさは
何となく感じられ、また、実際に鎖を裸の身体に強く
打ちつけ、流血するような地域もあるようで、
シーア派のエネルギーが爆発する時期に
繋がるようです。

以上のように、歴史的に見てスンニ派とシーア派には
明確な対立軸があり、今回のサウジアラビアとイランの
国交断絶の主因の一つとなっていることは
間違いありません。

しかし、宗派対立のみで中東の対立軸を
片付けてしまうのは余りに偏りがある見方です。
実際に、中東在住時には、それぞれの宗派を認めない
知人がいた一方、両宗派が混在する地域の人々は
「実際にたくさん友人もいるし、
融和して暮らしていた」と話してくれました。

では、宗派対立以外にどのような対立軸や
要因があるのか。
イスラム国は宗派対立について
どのように捉えているのか。
また、サウジアラビアとイランの対立で今後の中東情勢はどうなるのか。
後編で述べていきたいと思います。


(後編につづく)